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  1. 富士門流の研究(0)
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正系門家に国立戒壇の正義が蘇る日は近い

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年12月25日(日)12時47分47秒
返信・引用
  北面の武士さん、拙者の宿題に対して、ようやく正解に達しましたね。折角ですから、100点を差し上げたいところですが、ただ貴方は、「戒壇の大御本尊在します故に」と「国立戒壇の御遺命を堅持する故に」は、顕正会の浅井氏の己義のように断定されていますから、やはり、貴方はには33点しか差し上げられません。

貴方は正宗信徒として、過去七代、八代、いや、それ以上の長遠と血筋を鼻に掛ける割には、正系門家の宗旨を弁えていませんね。

解らないようなので教えて上げましょう。

宗旨とは、三大秘法の事なのです。即ち本門の本尊と、本門の題目と、本門の戒壇です。この三大秘法を、末法万年、尽未来歳まで令法久住して行くには、伝持付嘱、即ち「唯受一人の血脈」を宗門が重大視して来た所以が有るのです。

したがって、日蓮正宗が「正系門家」と謂われる所以は、①に、本門戒壇の御本尊が在します故に。②に、唯受一人の血脈相承まします故に。③に、本門戒壇=国立戒壇の御遺命を堅持する故に。という事であります。

此処で示された三つの要件は、決して浅井会長一人の己義ではありません。

その文証を示します。

初めに一期弘法付嘱書を拝し奉る

「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の条をまもるべきなり」と。

上記の御文を解説すると

「日蓮一期の弘法」とは、大聖人30年の忍難慈勝の御化導を指すのであります。それを端的に申しますと、大聖人の出世の本懐とは何か、という事になれば御本尊の開顕になります。依って「日蓮一期の弘法」とは、「本門戒壇の御本尊」という事になるのであります。

次に「白蓮阿闍梨日興に付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」の御文が、「唯受一人の血脈」です。

「その戒壇の大御本尊は白蓮阿闍梨日興に付嘱した。依って日興は、本門弘通の大導師(総大将)となって、此の大御本尊を身命を賭して弘め、広宣流布を成し遂げるべきである」と。

つづけて「国主此の法をたてらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法とは是なり」の御文が、「本門戒壇=国立戒壇」の勧奨の御文です。

此処で云う「国主」とは、日本国本来の本有の国主たる、「本化聖天子・無辺行菩薩」、即ち時の天皇陛下を指すのであります。

日本国の本有の国主たる本化聖天子が、本門寺戒壇建立の大願主となって、立てられる三大秘法とは、、即ち「国教」であります。その故に宗門七百年の歴史は、将来、広宣流布の暁に国教に指定される御大法が存する故に、本門戒壇を「国立戒壇」と通称してきたのであります。

また、正系門家の唯受一人の血脈に従って、二祖日興上人から第三祖日目上人への御付嘱状(日興跡条々の事)には、

「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の御本尊は日目に相伝す。本門寺に賭け奉るべし」と。御示しであります。

上記の短い一行の御文の中に、①戒壇の大御本尊と、②唯受一人の血脈と、③本門戒壇=国立戒壇の三つの全てが言い顕わされているのであります。

「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の御本尊」とは、「本門戒壇の大御本尊」の御事であります。

次に「日目に相伝す」の御文は、唯受一人の「血脈」です。

続けて「本門寺に賭け奉るべし」とは、広宣流布の暁に建立される天生原の本門戒壇=「国立戒壇」に御安置し奉るべしとの御命令であります。

このように、日蓮正宗が「正系門家」と謂われる所以は、①本門戒壇の大御本尊在します故に。②唯受一人の血脈相承まします故に。③本門戒壇=「国立戒壇」の御遺命を堅持する故に。

という事であります。

ところが六十六代の悪坊主日達は、ニセ戒壇正本堂を御遺命の戒壇と偽り、内には800万信徒を騙し、外には日本国家を欺くという、宗門七百年の伝統教義を法主の立場を利用して、御本仏大聖人の御遺命を歪曲したが故に、昭和54年7月22日の未明不慮の急死を遂げ、臨終思うようにならず相承の授受を為し得なかったのであります。

その後を継いだ遊蕩坊主の阿部日顕は、自己申告の形で猊座に登ったものの、悪坊主日達と同様に池田大作に諂い、ニセ戒壇正本堂を次のように讃嘆している。云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・法華講池田先生により、初めてその実現の大光明を顕わさんとしている」(昭和42年10月号 大日蓮)等と。

その故に、遊蕩坊主の日顕は、登座直後より一山の僧侶の大半から相承の授受を疑われ、やがてこの問題は法廷闘争に発展、日顕に疑いの目を向けた二百余名の僧侶の頸を刎ねて擯籍処分に付し、清浄な正系門家の品位を地に落としめて世間の顰蹙を買い、御本仏大聖人の御顔に泥を塗る結果を招いている。

更に、平成2年に至っては、本門寺寺号公称問題が引き金となり、最大の信徒団体であった創価学会の池田大作との間で修羅と悪竜の合戦を思わせる凄絶な戦いを交え、果ては、ニセ法主、遊蕩坊主の汚名を浴びせられている。そして遂には「シアトル事件」等の身の醜悪を暴かれ、登座以後の27年は満身創痍、一日として心安き日は無かったに違いない。これ仏罰と云わずして、他に何と表現すべきか。

御遺命歪曲の主犯たる池田大作は、脳梗塞を患い頭破七分の仏罰を受けている。週刊誌の報ずるところに依ると、池田大作は、既に痩せ細り昔の面影は皆失せて、口塞閉塞、口は利けないばかりか、夜ごと奇声を発し、人の区別も付かないどころか、手当たり次第物を投げつける有様だと報じられている。

このように、御遺命に背いた主犯格の三人の末路は、御妙判に示された通りである。云く「王臣万民初めは事なきよにて終に亡びざるは候わず云々」と。

それは兎も角

悪坊主日達と遊蕩坊主の日顕の間には相承の授受がなかったから、授なく、受無しというのである。

ただ、悪坊主日達と遊蕩坊主日顕の間には、相承の授受の儀式が執り行われなかった。だけの事であります。

しかしながら、近い将来必ず宗門に大聖人の御遺命たる「国立戒壇」の正義の旗を高らかと掲げ、国立戒壇を高唱される、まことに英邁な貫主上人が間違いなくお出ましになられる。それが正系門家の大使命なのである。その時、忽ちに血脈は蘇るのであります。

さあ~、その時、愈々日本国の真の夜明けが始まり、日本民族の勃興と興隆が始まるのであります。何と、血沸き肉躍る希望に満ちた新世紀の到来であろうか、、、、、、、。



 
 

通りすがらない君に代わって通釈してみました。

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年12月21日(水)11時02分49秒
返信・引用
  通りすがらない君は、自らが、これ見よがしに引っ張り出してきた各先師方等の御筆記を並べ立てて「事檀」ばかりを論じたつもりだろうが、一向に体をなしていない有様だ。

それに、下記の御筆記の一々について解説を要求したが、未だに何も答えていない。いや、答えられないのである。それもさることながら、この板で大手を振っていた連中の、富士川一郎君、北面の武士君等も何一つ答えられないようだね。

阿呆華どもに代わって、拙者が下記の御筆記の意味を通釈してみる事にした。

◎但し亦重有り、本門の本尊、本門戒壇に与也、経題の流布は仏駄の嘱累・所図の本尊は聖人の己証なり、貴賤上下悉く本尊を礼し利鈍男女同じく経題を唱へ、無始の罪障消滅して即身成仏決定するなり。(三位日順:本門心
底抄)

通釈

但し、亦重要な法門が有る。それは本門の本尊であり、本門の戒壇である。それには釈尊から付属受けて流布するところの題目である。その所顕の本尊とは、即ち大聖人の法魂である。故に、貴賎・利純の上下・を問わず、此の御本尊を信じてお題目唱える者は、無始以来の罪障を消滅して即身成仏が適うのである。

◎一、此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは、当寺の戒壇の板本尊に非ずや、其の戒壇の本尊の座す地は広布の至る迄は此の地、戒壇に非ずや。日興正伝の題目は本門の題目に非ずや。(第二十二世日俊上人・寿量品説法)

通釈

三大秘法とは一体何を指すのでしょうか、それは本門の本尊である。その本尊とは、我が大石寺に在します本門戒壇の大御本尊の御事である。その戒壇の大御本尊の在します所としては、広宣流布に至るまでは大石寺が御本尊の住所の地であり、また義の戒壇の地である。御開山日興上人に正しく伝わる題目こそが、本門の題目ではないか。

◎即座開悟は因果同時なる、故に自受用身体三身の自報身也。其の所住の処は寂光土也。当体義抄に季き也。即戒壇也。是は現事に約す故に勝地を選ぶに於いては秘法抄なり。(第二十四世日永上人・寿量品説法)

通釈

即座開悟と云っても、その因果は刹那の一瞬であり同時である。故に、自受用身の体の三身(御本仏日蓮大聖人の三身)の中の法身、報身、応身の中でも、報中論三の本有無作の三身となるのである。即ち、智慧であるところの自受用報身(御本仏)の開悟となるのである。其の処は、事の寂光土というべきである。その事は当体義抄に詳しきが如し。また、其の所は義の戒壇である。この事は現実に約す故である。広布の暁に勝地を選んで、事の戒壇を建立する時は、三大秘法抄に示された通りである。

◎又、当に来世に於いて必ず作仏を得るは毎自作是念の悲願なり、疑い奉る事なかれ、持つ処は本門大戒壇也。無始の罪障消滅、戒壇の本尊を代々上人之を写し我等に授け給うは我等が己心の本尊を眼前に顕し給う(第二十五世日宥上人・観心本尊抄記)

通釈

現当二世に亘って成仏の果報を願うのは、信行に励む度に自ら是の念を為さしめるのみである。決して成仏しないのではないか等と疑ってはならない。唯願うところは広宣流布の暁の事の戒壇の建立である。また、無始以来の罪障消滅は、本門戒壇の大御本尊を唯授一人の代々の上人が書写し奉った御本尊を凡遇の我等が正直に受持して信行に励む時、我等が凡夫の命に御本尊が宿るのである。

◎当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。(第二十六世日寛上人:取要抄文段)

通釈

富士大石寺は本門戒壇の霊地である。まさに知るべし。広宣流布の時至れば、全世界の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置することになる。その処は義の戒壇という。したがってその処は枝流にあたり、決lして根源ではないのである。正しくは、本門戒壇=国立戒壇の所住の富士山天生原こそ、衆生成仏の根源なのである。

◎第四十四世・日宣上人「大聖人の御魂たる本門戒壇の御本尊在します所が即ち是れ道場にして常寂光浄土なり。然れば即ち今は此の多宝富士大日蓮華山大石寺、広布流布の時は本門寺と号す(第四十四世・日宣上人:文政五年の御説法)

通釈

大聖人の御法魂たる本門戒壇の大御本尊在します所は、是れ即ち塔の義であるから道場ともいうのであり、常寂光土と釈するのである。然れば、現在の多宝富士大日蓮華山の大石寺がそれに当たり、広宣流布の時至れば富士山本門寺と号する事になるのである。

◎未だ広布の時至らず事相の戒壇建立なしといえども、此の道場即ち是れ事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして(三大秘法談:五十二世日霑上人)

通釈

未だ広宣流布に至っていないので「事の戒壇」の建立は無いけれども、戒壇の大御本尊在します所は、義において事の戒壇である。その所は正しく真の霊鷲山であり、事の寂光土とも言うべき貴い所である。

◎戒壇の御本尊様を御安置するところの道場があるんだから、道場の中に堂々たる事檀をこしらえて、そして大勢一緒にやらんで、ひとりづつ檀の上に登ってやったらいいと思う(第五十九世・堀日亨上人:三大秘法と戒壇の歴史・大白蓮華59号・昭和31年2月25日談)

通釈

上記の堀日亨上人の談義は、何時、如何なる情況の中で述べられた談話なのかが理解できないので、コメントのしようがない。

◎「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山事の寂光土」(第六十世・日開上人・御法蔵説法)

通釈

昭和45年4月3日、本山の対面所で日開上人の上記の御法蔵説法を、切り文して悪用したのが、悪坊主日達だったのである。それに倣って、通りすがらないは、同じ手口で、今度はネットの世界で切り文をして「事檀」と「義檀」を誤魔化そうとしているのである。

日開上人は上記の御法蔵説法本の前部には、三大秘法抄、一期弘法抄、日興跡条々の事などを引かれて、大聖人の御遺命は、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり本門戒壇=国立戒壇が建立されることを、大前提として、「その戒壇堂に安置し奉る大御本尊今現前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山事の寂光土」と。仰せられているのである。

◎「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当地富士山なること疑いなし。また、その本堂に安置し奉る大御本尊は今、眼前にましますことなれば、この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、もしこの霊場に詣でん輩は無始の罪障、速やかに消滅し云々」(古伝・御法蔵説法)

通釈

御遺状の如く(一期弘法抄)事相の広宣流布の時、時の天皇陛下より勅宣を賜わり、御教書(国家意思の表明)を以て本門戒壇=国立戒壇を建立する地は、富士山天生原なることは、疑いの無い事である。また、その戒壇堂に安置し奉る戒壇の大御本尊は、眼前に在しますことなれば、その所は、是れ義としての本門戒壇、真の霊鷲山であり、事の寂光土とも言うべき貴い所である。もし縁あって、この霊場に詣でることの宿縁の人は、無始の罪障忽ちに消滅することができる。

◎「本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇となり、斯くの如く名は三つありといへども、其のご本体は只一箇の大御本尊なり、是を本門の本尊と称し、本尊の住し給う所を当知是処即是道場と説かせ給いて、本門戒壇の霊地、真の霊山、事の寂光土なり(妙光寺第二代住職・有元廣賀(日仁能化)師・大日蓮第1巻第四号)」

通釈

三大秘法とは、本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇のことである。斯くの如く名は三つありといへども、所詮は、
本門戒壇の大御本尊に尽きるのである。故に、一大秘法の大御本尊とも申し上げるのである。その大御本尊の住し給う所を、即ち是れ道場と説かれているのであって、その所は、本門戒壇の霊地であり、真の霊鷲山、事の寂光土ともいうべき貴き所なのである。

◎「いたましいかな、この間廣宣流布の架設に会せずいえども、本門戒壇御本尊奉安の霊場は寂光浄土である。ひとたび此の聖境に登り此の霊風に浸たらば、無始の罪障忽ちに消滅して三業の悪、転じて三徳を成し妙法当体
の蓮華仏と成らんこと疑いなし(日蓮正宗教義一班・松本諦雄・大正十五年十二月)

通釈

情けない事に、我等は事の広宣流布の戒壇建立に巡りあう事が出来ないと言えども、いま眼前に在します本門戒壇の大御本尊安置の霊場に参詣できた。その事は、まさしく事の寂光土に住している事になるのである。故に、一度この聖域に登り、大御本尊の妙風に浸るならば、無始の罪障忽ちに消滅して、煩悩、業、苦の三業(三道)は、法身、般若、解脱の三徳と顕われ、卑しい御身がそのまま当体蓮華仏となるのである。

◎「戒壇と本尊の関係でありますが、此につきましても他門では題目を唱えるところ即ち戒壇と説いておりますが、それは本円戒でありまして戒壇ではないのであります。で戒壇とは御本尊の在すところを申し上げるのでございます(中略)それ故御本尊に於いても此の戒壇と云うことを以て拝さなければ大聖人様の一代の御化導を正しく拝し奉ることは出来ないのであります(淳師:昭和三十一年・法道院にて説法)」

通釈

戒壇とは御本尊の在します所を云うのである。それ故に、御本尊の在します戒壇ということに於いても、「義の戒壇」「事の戒壇」という大聖人一代の御化導を正しく拝して行かなければ、そのこと自体が解らなくなるのであります。

◎「御義口伝に”此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。”と仰せられてをりますが、是れは此の如来に於ては本門の本尊がましまして、而して此の本尊のところに即本門の戒壇、本門の題目が具し玉うからであります(淳師・三大秘法抄拝読)」

通釈

「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり」とは、「如来秘密は体の三身にして本仏なり、」「神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」と仰せられる如く、久遠下種の本仏と、法華経本門脱益の迹仏の本尊の違いの依文は、
如来秘密神通之力の文に顕わされているのである。また戒定慧の三学(戒壇、本尊、題目)は、そのまま三大秘法となるのである。日蓮大聖人はその三大秘法を霊鷲山に於いて教主釈尊から口決相承したのである。また本尊とは、法華経の行者の一身の当体のことを仰せられているのであるが、此の所に大御本尊在しますゆえに、此の本尊の在します所は、即ち本門の義の戒壇であり、本門の題目もおのずから口ずさむ事になるのである。

以上の如く、拙者が上記の御筆記の通釈を加えて見たが、通りすがらない君は一体これ等の御筆記の文を挙げて、何が言いたかったのか? 理解に苦しむところである。また、義の戒壇、事の戒壇の立て分けは、上記の御筆記に依って天日の如く明らかとなったのである。

如何とする! 通りすがらない君、元々何も期待はしていないが、彼は話を逸らして悪態をつく事しか能のない禿人であることを証明している。恥知らずとはこの事だ。




 

勉強になるだろう?

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年12月14日(水)15時11分11秒
返信・引用
  通りすがらない君、お前さんは何度教えても、「義檀」と「事檀」の意味が理解できないようだが、この体を称して悪鬼乱入、頭破七分と言うのであろう。お前さんの言葉を借りれば、まさしく「キミが理解できないのは、我々のセイじゃないですから、ま、過去世の宿縁ですね」等とあるが、この言葉をそっくりお返しします。

今回はお前さんの書いた文言を以て破折する事にしましょう。

云く「コチラは三大秘法を六大秘法に分けたときには、富士山の本門戒壇の大御本尊まします処が事の戒壇、余の御本尊が安置されている在々処々が義の戒壇であり、事の戒壇にも二重の意義(根源における事の戒壇と、広布事相上に建つ事の戒壇)がある、という事ですが、云々」と。

何度も云うようだが、宗門はあの悪坊主日達以来、三大秘法の開合の相を論ずる時に、本門の本尊に「人」と「法」。本門の題目をに「信」と「行」。本門の戒壇に「事」と「事」という、とんでもない邪義を展開し始めたのです。

上記のように、本門の本尊に「人」と「法」、本門の題目に「信」と「行」は許されるとしても、本門の戒壇が「義」と「事」ではなく、「事」と「事」になり、之を「二重の義」などと遁辞を構えるから、己義・邪説と破折しているのである。

これでは、悪坊主日達以後の宗門で言う三大秘法の開合の相は、五大秘法となり、変則的な六大秘法となるか、ハタマタ七大秘法となってしまうではないか。

良いか! 良く読みなさい。一大秘法、三大秘法、六大秘法と開合の相を論ずる時は、一大秘法の本門戒壇の大御本尊を基に法相を論ずるのであるから、他所から別な本尊を担ぎ出して来て開合の相を論ずること自体、間違いであるし、ナンセンスと教えているのである。

お前さんが書いた上記の文言に戻るが、「富士山の本門戒壇の大御本尊まします処が事の戒壇」と表現する場合の意味は、広宣流布の暁に、時の天皇陛下より勅宣を賜わり、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立する本門戒壇=国立戒壇の意味となるのである。

更に、どうしても本門戒壇の大御本尊まします処が「事の戒壇」と言いたい場合は、悪坊主日達が、正本堂を機に、御本尊を「所住の法体」に約して表現した時に、初めて言える事なのである。

それに対して、正本堂以前の宗門七百年の伝統的教義解釈は「本門戒壇の大御本尊まします処が義の戒壇」と定義されていたのである。しががって、寛尊並びに日相上人等が仰せられる「富士山」の三文字を冠して表現する場合は、おのずから広宣流布の時の「事の戒壇」となるのである。要するに、現在の奉安堂は、何処までも「義の戒壇」なのである。

故に、日寛上人は「義の戒壇とは即ち是れ本門の戒壇の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり。と明確に御教示であり、正しく事の戒壇とは、一閻浮堤の人懺悔滅罪の処なり云々」と、三大秘法抄を引かれて広宣流布の時の戒壇を事の戒壇と定義為されているのである。

かつての創価学会が、大聖人の御遺命を歪曲する以前の教科書ともいうべき折伏経典(改定三十五版)には

「戒壇とは広宣流布の暁に本門戒壇を正式にご安置申し上げる本門戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である」と明確に述べているのである。

ところが、御遺命を歪曲した後の、学会発刊の仏教哲学大辞典によれば、

「昭和四十七年、日蓮正宗総本山大石寺に建立される正本堂が事実上の本門戒壇に当たる。この戒壇は仏法史上三千年来の念願であり、末法事の戒壇にして、日本民衆の鎮護国家の道場のみならず、世界人類の永遠の平和と繁栄を祈願すべき根本道場となる」と豹変しているのである。

いま、お前さんが主張する、戒壇の大御本尊の在所たる、正本堂、あるいは、奉安堂を「事の戒壇」と認識し、宣伝に務める悲しさよ。是れ、池田大作の毒気に当てられた言動であり、悪坊主日達が、大聖人の一期の御遺命たる本門戒壇=国立戒壇をニセ戒壇たる正本堂のために、学会に金で売り渡した後の成れの果ての哀れな姿なのである。お前さんは、悪坊主日達の弟子であると共に大謗法者の池田大作の弟子なのである。

次に寛尊の抜書雑雑集に解説を加える事にする。

   ↓ 寛尊の抜書雑雑集から

◎本尊の人法と者、人即久遠元初の自受用身法即事の一念三千曼陀羅也。戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。経に云く当に知るべし是場即是れ道場、天台云く、佛此の中に住す即是れ塔の義云々。(寛尊:抜書雑雑集)

拙者が上記の御文を解説する

「本尊には人と法とがある。人は、久遠元初の自受用身であり、法は、即ち事の一念三千の曼陀羅である。また戒壇に「事檀」と、理としての「義檀」がある。事檀と云うは富士山戒壇であり、道理としての「義檀」は、一閻浮堤の末寺、末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是れ道理の戒壇である。経に云く、正に知るべし、是れ即ち道場という。天台の云く仏この中に住す。是れ正しく塔の義と釈するが如し」となる。

通りすがらない君の云く『此処にお示しのように「戒壇の事理と者、事即富山の戒壇、理即一閻浮堤の末寺・末山、及び諸檀の仏壇、惣じて書写の本尊安置の在処は皆是道理の戒壇也。」この文中に事即富山の戒壇とあり、末寺・末山、及び諸檀の仏壇と弁別されてます。つまり日相上人聞書とピッタリでしょ。』

何度も云うようだが、いい加減にしてちょ~よ。

寛尊の「聞書」をメモしたとする日相上人の仰せが一致するのは当然です。

日相上人の聞書には、在々處々本尊安置之處ハ理ノ戒旦也。と有り、富士山戒旦ノ之御本尊在所ハ事ノ戒也。と仰せであるように、「富士山」の三文字が冠せられているのである。

日相上人が記されているように、在々處々本尊安置の處を道理として「義の戒壇」と示され、富士山戒旦ノ之御本尊在所を「事の戒壇」と御教示である。依って、戒壇の御本尊の在所に「富士山」の三文字が冠せられて表現されている場合、広宣流布の暁の事相の戒壇を指すのは理の当然である。

この項の最後に一言いうならば、寛尊の御説法を日相上人が「聞書」として自慢するメモなる物も、辻褄の合わない俄かに取って付けたような代物である。

日寛上人は西暦でいうと、1665年~1726年の御存生でられ、一方の日相上人は、1759年~1805年の御存生であられる。単純計算しても1759-1665=94である。

どうして、第四十三世の貫首上人が、第二十六世の日寛上人の御講聞書を聴聞できるというのだね?
寛尊は御歳六十一歳で御遷化されているのである。

このように御遺命を曲げた現今の宗門は、己の無謬性を主張する為には、歴史を改竄してでもウソを言い張るのである。世間の諺にも、「ウソは泥棒のはじまり」とあるが、お前さん達は盗人の集まりなのか!


 

御本尊について

 投稿者:質問者  投稿日:2011年11月30日(水)01時39分40秒
返信・引用
  昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが
何故、竜樹菩薩と妙楽大師が抜けてるんでしょうか
(普通は天台大師と伝教大師の横にそれぞれ書かれているのに)

誰に聞いても教えてくれません
詳しい方レスお願いします

ちなみにこの御本尊は当時の学会員に下付されたものです

あと、この御形木本尊持ってる方いますか?
 

その体の反駁は何の蛇足にもならんよ

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月15日(火)13時19分43秒
返信・引用
  ご無沙汰していました。世俗の野暮用で時間が取れませんで、昨日ようやく一段落したところです。
さて、早速ですが富士川君の説明によりますと、

拙者が「昭和の時代に入り、信徒団体の創価学会から正本堂を大聖人の御遺命の戒壇と確定してくれ。との要請に、悪坊主日達は、その仏法破壊の要請を唯々諾々と受け入れ、そこから御遺命違背の歪曲が始まったのは紛れもない事実である」と指摘したことに対して、富士川一郎君は次のような反駁を加えて参りました。

云く『☆昭和四十五年四月三日・本山にて達師と浅井講頭、本部長(現会長)対面所にてお目通り。
本部長の質問に対し「正本堂は最終の戒壇ではありません。・・だから”須弥檀は蔵の形にする”と説法した」と語られる、次いで妙信講の登山を八月に許可。ここで「正本堂は最終の戒壇ではありません。」と明確に否定。

☆対面所にてお目通りのあと、浅井講頭、本部長(現会長)は御開扉を受けた翌々日四月五日に面談の礼状を浅井講頭・本部長連名で送付している』

云々とありますが、藤川一郎君の記した悪坊主日達と浅井父子との昭和45年4月3日に於ける本山での正本堂に関するやり取りの中で、日達の悪坊主が「正本堂は最終の戒壇ではありません」等と、本音らしからぬ正義を漏らしたのは、当日浅井氏に追いつめられて、つい口が滑り、その場限りの懐柔策として、あのような「正本堂は最終の戒壇ではありません」などと、言ったに過ぎないのでありまする。

悪坊主のそれに至る発言の裏には、去る昭和45年3月25日付けで、妙信講の浅井氏が宗門の誤りを糾すために認めた「正本堂に就き宗務御当局に糾し訴う」と題した第一次諌曉書を学会・宗門の高僧らの12人に送付したことから、悪坊主日達が腰を抜かさんばかりに、ビックリ仰天して、4月3日に本山の大奥に浅井父子を急遽招請し、その諌曉書を照れくさそうに振りかざしながら、浅井氏を宥めに掛かった際の台詞だったのでありまする。

この度はその経緯を論ずることが詮ではないので、一応この位にして悪坊主日達が、浅井氏に「正本堂は最終の戒壇ではありません」などと垂れた言葉が、ウソ八百であった事を証明して進ぜよう。

佐藤慈英宗会議長(以下当時の役職)
「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒壇』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊とすべきなり』と御遺命遊ばされた大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇となるので御座います」(大日蓮 昭和42年11月号)と。

大村寿顕・宗会議員
「此の大御本尊安置の本門戒壇堂の建立をば、『富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に遺命されたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和への一念が、がっちりと組み合わさって、ここに新時代への力強い楔が打ち込まれたのあります」(同上)と。

椎名法英・宗会議員
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ」との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」(同上)と。

菅野慈雲・宗会議員
「正本堂は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈願せられて来た重大なる念願であります」(同上)と。

阿部信雄・教学部長(後の遊蕩坊主日顕)
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその光明を顕さんとしている(同上)と。

悪坊主日達
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華 昭和43年1月号)と。

これで悪坊主日達の、昭和45年4月3日の「正本堂は最終の戒壇ではありません」なる言説が、口から出任せのウソ八百である事が歴然と証明されたのでありまする。

上記のこれ等の馬鹿げた僻事は、彼等高僧に限られた事ではない。平僧も含めて、宗門の信徒全員が正本堂を広宣流布の事の戒壇として受け止め、狂気の宴に引きずり込まれ、財の限りを尽くして供養に励んでヌカ喜びをした揚句、僧俗漏れなく仏罰を蒙ったのでありまする。これ御本仏大聖人の御心に背反する行為だからでありまする。

拙者は、この許されざる過ちを反省をする事もなく、何等の検証もしない現今の宗門の堕落と狡猾を攻めているのでありまする。

藤川一郎君、これ等の誤りを認め、五体投地の命がけの懺悔をするところから、はじめて宗門の再生が始まる事を認識すべきでありまする。今の宗門は、かつての誤りを認めようともせず、常に狡猾にして自らの無謬性ばかりを強調するところには、正本堂のあれ以来功徳も歓喜も生じないのは当然の帰結というものです。

御抄に云く「源濁りぬれば、流れ清からず」云々と。また云く「経の意に背く間悪道免れ難し」云々と。

賢明な貴方は如何とする?



 

お前さんは何処まで赤恥を晒すのか

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 6日(日)19時02分2秒
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  北面の武士を名乗る薄らバカは、己の無知を曝け出して「日代譲状を知らないのかね!駄目だコリャ!」などと、性懲りもなく一人でバカ面下げて騒ぎ立てているが、この板に出入りしている、傍観者vを名乗る脳タリンちゃんも、通りすがらないを自認するアホンダラ君も、薄らバカの北面の武士なる旧信徒らしき薄らバカが「日代」の事について間違った出鱈目を書き連ねていても、何等 、その間違いを指摘すらもできない有様だが、所詮、その体の者達なのである。

良いか! 日代なる邪義坊主は、重須で方便品読誦論争の事後の顛末の結果、重須の大衆によって重須を追われて、西山に逃げ込み、西山本門寺の前身となる小さな法華堂を建てたことが「富士宗要集」などにも記されているのである。

いずれにしろ、このような騒動から重須を追われた日代は、康永三年(一三四三年)に西山の地に法華堂を建立した。その翌年には、大内大三郎(安浄)という者から寺地や畑地などの寄進を受け、西山本門寺の開基となっているのである。



 

あの時が広宣流布なら、今は如何なる時なのか?

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 6日(日)18時12分14秒
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  「最後に申すべき事を砕破する」(P.18~19)に、日達上人の仰せられた御教示に「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華 昭和35年1月号)との仰せがあるが、此れはまさしく正論である。

ところが、池田大作に諂い魔が入ると「国立戒壇というのは本宗の教義ではない」(大日蓮 昭和50年9月号)等と、このように180度も豹変するのである。

つづけて「事の戒壇」についても「事の戒壇とは、富士山に戒壇の御本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論、この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮 昭和36年5月号)と。此れも亦正論である。

ところが「この戒壇の御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」(教師補任式 昭和45年4月27日)と豹変するのである。

このように豹変して大聖人の御心に背いて己義を構える時には、日達上人とお呼びするのは猊座を著しく冒涜することになるので、これ以後は拙者は、悪坊主と呼んでいるのでありまする。

序でに、もう一つの悪坊主の出鱈目な己義を紹介しましょう。此れは悪坊主が正本堂について最初に説法した、昭和40年2月16日の説法から、丁度、1ヵ月前の創価学会の教学理論誌、大白蓮華の巻頭言に掲載された有名な記事である。

云く「思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、私が『すでに広宣流布しておる』と語ったら、会長は『そうです、舎衛の三億です』と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである」(昭和40年1月号)というもの。

この二人のやり取りを見て、率直に感ずることは、まるで、三流漫才師の下手な掛け合いを連想させるようなダジャレにもならない僻事である。昭和40年1月と云えば、創価学会の第二代会長の戸田城聖氏が亡くなられて、未だ、7年にも満たない時期で、池田大作が三代会長に就任して、僅か5に満たない時期である。それなのに、日達という悪坊主は「すでに広宣るふしておる」などと、とんでもない事を言い触らしながら、二人して、無邪気な信徒を幻惑していたのである。

また昭和40年を振り返れば、日本は戦後の混乱から立ち上がって、ようやく経済復興が始まったばかりの時である。それを「すでに広宣流布しておる」とは、三流漫才師の話のネタにもならない酷いはなしである。今年はあれから、46年が経過していることになるが、政治も経済も混沌として、悪質な凶悪犯罪は底なしの状態ではないか。如何に悪坊主日達がとんでもない事を言っていたかが、今更ながら振り返ると慨嘆をとおり越して滑稽ですらある。

それかと思ったら、こんな酷い事もいっていたのである。云く「広宣流布の聖主は即ち広宣流布の時の聖主は転輪聖王であるのでございます。必ずしも今の天皇陛下が建立主となるべき時の天皇とはいっておらない。又大聖人も、そうはおっしゃって、おらないのであります。又此の御書に照らし経文に照らすときは、広宣流布の時には転輪聖王が出ますということになっているおるのでございます。そのときの聖主こそ天皇であれ、誰であれ、兎に角為政者である。その時の為政者が転輪聖王となって戒旦建立の大将となって現れれば、よろしいのであります」(大日蓮 昭和34年9月号)と。

何とも締らない話ではある。仮に、悪坊主が吹聴する如く、広宣流布の時には転輪聖王が出現する事になっているのなら、何も一千万人にも満たない学会員だけで、俄かに建てた正本堂なるニセ戒壇を称して「すでに広宣流布」などと出鱈目な宣伝するまでもなかったではないか。

それに「広宣流布の時には転輪聖王が出現する事になっている」という出鱈目も、ここまで来ると滑稽をとおり越して悲しくなってくる。

悪坊主日達が引証した教行証御書に出て来る「金輪聖王の出現の千兆の優曇華なるべし」の御文は、曲会の最たるものだ。大聖人が此処で仰せの真意は、仏様にお値いすることは、三千年に一度海中に咲くと謂われている伝説の優曇華の花に巡り合える事が難しいように、仏様に巡り会えることは難しく値い難い、この事を比喩として仰せられたものであって、広宣流布の時には、金輪聖王や転輪聖王が出現するなどと云う事では毛頭ない。

この御文を日霑上人釈して云く「この文、眼を留めて拝すべし、転輪聖王の一切衆生の本祖たるごとく、宗祖大聖人また、これ三世の諸仏の本祖たること、文に在って顕然なり」と仰せられているのである。





 

自分の立ち位置が解らんか?

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)11時13分2秒
返信・引用
  つい先日、北面の薄らバカが言うのにこんなのがあったな~、云く「君の御希望の重須貫首の件だが、君の間違いをまず指摘しておこう。日興上人の滅後、重須を継いだのは、三位日順ではない。重須の二代は日代である。」というもの。

拙者がこの時、三位日順の名を挙げたのは、重須では日興上人は「貫主」の呼び名を使わず、もっぱら「学頭職」の名を用いてた実例を挙げて、単に、学頭職に就いた三位日順の名前を挙げたに過ぎないにも拘わらず、この薄らバカと来たら、「三位日順ではない。重須の二代は日代である。」などと、天狗になっておいでだが、これも小奴の恥晒しである。

良いか! 覚えておきなさい。重須の初代の学頭職を任命されたのは、日代ではなく、「日澄」なのである。
日代といえば、日興上人亡き後、日目上人に反旗を翻して、富士五山の一つと言われる西山本門寺の開基になっている邪宗日蓮宗の坊主のことである。

つづけて

北面の薄らバカの云く「君のバカさ加減は、法主上人が誤る可能性を論じるに、民部日向を挙げている事である。
民部日向は相伝を受けた人物では無い。君は能所の区別が全く出来ていない。能とは人を済度する立場であり、所とは済度される立場を言う。日興上人は宗祖から唯受一人の御相伝をお受けになられ、宗祖滅後は僧俗を済度するお立場であり、さらには代々の上人も悉く継承している。民部日向はその法主上人から済度される立場である。学頭と言う職責もあくまでも、日興上人から任命されているに過ぎない。この両者を同等に論じるなど気は確かかね!」等と来たもんだ。

お前さんの上掲の戯言は、そっくりお返しして進ぜよう。

拙者は、先刻来よりお前さんの展開する論理は、すでに破綻していると指摘したとおりではないか。

相伝を受けた六十六代の日達ですら、魔が入ると仏法に相違して次のような己義を構えるようになるのである。
そのごく一部を紹介する。

云く「此の正本堂が完成した時には、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華 201号)と。相承を受けた貫主ですら、このような馬鹿げたことを言って、八百万信徒を誑かしたのである。

続けて猊座を簒奪した遊蕩坊主日顕の云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕わさんとしている」(大日蓮 昭和42年10月号)等と、正本堂を広宣流布の時の「事の戒壇」と嘯いているのである。

それに対して民部日向は、五老僧の一人であれば、相伝を受ける立場にない事は明らかであるから脱線することは、貫主とは比べようもないのは当然である。それと比較するに、日向の場合はこれ等の邪義に比べると可愛いもので、下種仏法が壊乱することはなかったのである。

それを有ろう事か、小奴は、真反対の駄文を引証として「能・所」の違いを得意満面の面して力説し、拙者を教訓したつもりでいるようだが、是れを称して頭破七分というのである。この薄らバカは、自分の立ち位置すらも認識できなく、袋小路に入って収集がつかないでいる有様だ。

続けて云く「君は法主上人の御内証が戒壇の御本尊様であることが700年来の当宗の信仰であることが信じられないようであるので、君にヒントを授けよう。相伝には四種ある。これらが全て答えられるかな?答えられたら次に進もう。」などと、能天気な邪義を展開しているが、 「法主上人の御内証が戒壇の御本尊様である」とは、恐れ入りましたね。現今の阿呆華講は、このような盲信徒の寄せ集めだから、悪坊主の日達や、遊蕩坊主の日顕の御本仏の三大秘法義を破壊する禿人に騙されて、なお崇め奉っているありさまなのだ。

すり替えの名人とはこの事だ。拙者は先に、「内証の相伝」の意味について小奴に回答を求めたのは、ご案内のとおりだ。ところが、それに答える事ができないため、 「相伝には四種ある 」などと、逆質問を拙者にぶっつけてきているのだが、お前さんが拙者の質問に回答を寄せた時点で、その「相伝の四種」に答える事にしましょう。

それにしても、お前さんは拙者と論争するには、10年早いよ。もっと法門に明るい坊主を連れておいで、それでも、凹まして上げるよ。


 

君の屁理屈は論理破綻だよ

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)11時05分37秒
返信・引用
  遊蕩坊主の弟子を自慢する北面の武士を名乗る幼稚な坊やが、またまた此処で偉そうに、意味を知らないで「内証相伝」などと、今まで聞いた事のない単語をキーワードに、富士の流儀を論じようとしているが、是れこそが噴飯ものの見本である。

北面の武士君の云く「相伝とは内証を相伝するのである。」とあるが、その「内証の相伝」とやらの、ほんまの意味を教えてちょ~よ。これが第一の質問。

また云く「大石寺つまり相伝宗派と不相伝諸派の違いは、全ての歴代上人の御内証を戒壇の大御本尊様と拝するか?拝しないか?の違いであり、小難しい屁理屈は不要なのである。」などと。

バカも休み休み云い給え。「全ての歴代上人の御内証を戒壇の大御本尊様と拝するか?拝しないか?の違いである」とは、恐れ入りましたね。それでは反詰するが、「歴代上人の御内証を戒壇の大御本尊様と拝する」とは、一体どういう信心を云うのかね。君の偉そうな講釈は、どだい日本語になっていないではないか。早い話、遊蕩坊主の内証を戒壇の大御本尊として拝する。となると、最早、戒壇の御本尊は不要となり、遊蕩坊主日顕を拝んでいれば事は足りることになる。

これはたまげたね。これを称して貫主本仏論と云うのだよ。ここで思い出したが、邪義坊主らが「最後に申すべき事を砕破する」の中で云く「御当代の法主上人の御内証は、本門戒壇の大御本尊の御内証と爾二不二てまします」というのがあったが、これと、阿呆華の北面の武士とやらが言おうとしている事は瓜二つということだ。

つまり、遊蕩坊主の阿部日顕は、戒壇の大御本尊と不二の尊体という事を言いたいのだろうが、こうなって来ると気印の領域に達した者の戯言というべきものだ。

仮に、遊蕩坊主が戒壇の大御本尊と不二を尊体であるならば、何故に、遊蕩坊主などと酷評されるような買春行為を追及された挙句、法廷に引きずり出されて赤恥を晒さなければならないのか、また、池田大作に諂って、正本堂を御遺命の戒壇等と嘯くことを平然とやってのけて「国立戒壇論の誤りについて」なる悪書を刊行し、御本仏大聖人を貶めるような大謗法を犯すのか。

続けて云く「宗祖も興尊も目上もあらゆる御歴代も、体は違えど、内証は同一、これが富士の伝統なのである。
これが相伝仏法の拝し方であるから、そもそも宗祖の御心に叶わない法主上人は最初から法主に登る事は出来ないのである。簡単に言おう。君が誤ったとされる日達上人を選任されたのは、日淳上人なのである。日淳上人がこの方に任せておけば安心だと確信された上で選ばれているのである。」などと。

「体は違えど、内証は同一、これが富士の伝統なのである。」としておいでだが、まことに立派な伝統である。そのような立派な伝統があったとしても、魔が入ると件のような結末を見ることになるのである。故に、大聖人は最蓮房御書に「第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となす。教に『悪鬼入其身』とは是なり」と仰せ遊ばすのである。

君の主張は既に論理破綻をきたしているという事だ。かつて、大聖人滅後3年後に身延においでになられた日興上人の下に、民部日向なる五老僧の一人が久々に登山して来た折に、日興上人は大変お喜びになられて学頭職の地位を与えられたが、民部日向の謗法により、日興上人の身延驪山の原因を作っているではないか。

ここで君が言うように「日淳上人も前任の日昇上人がさらにさかのぼっていけば、最後には宗祖まで遡れる、つまり現法主上人の否定は、根本的に宗祖の否定に連鎖するのである。」などと、偉そうな事を言って、日淳上人を貶めることは、早晩、還著於本人の大罰を被る事になるのである。
 

恥の上塗りは最小限にしてね

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時51分30秒
返信・引用
  北面の武士さん、貴方の百六箇抄の解釈はお笑いだね。こう云う未熟者が拙者をして教訓しよう等と、おおそれた事を考えるから、このような間違いを起こして、なお、開き直ることができるのであろうか。

良いか! 大聖人様は次のように仰せられている。云く「就中六人の遺弟を定むる表事は先々に沙汰するが如し、云々。但し、直授結要付属は一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して、日蓮正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付属せしめ畢ぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来歳に至るまで、予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐ可き者なり」とある。(一部句読点は拝読の便を考えて筆者が記す)

上記の御文を解説するのは聊か、僭越の謗りを免れないと雖も、拙文を以って記すならば次の如くである。「六人の遺弟を定むる表事は先々に沙汰するが如し」とは、忝くも一言で云い顕わすならば、大聖人の弟子の六人を直弟と定め、一応、法門相属を終えた事は、先々の説法のとおりである。と仰せられる。

次に「但し、直授結要付属は一人なり」とは、唯授一人の血脈相承の法体相属の事を仰せである。から白蓮阿闍梨日興上人一人を以って総貫首と為す。と断定為されているのである。続いて、大聖人の三大秘法義は毛頭ほども残さず、二祖日興上人一人に付属し終わった。と仰せられれている。

次に「末弟等異論無く尽未来歳に至るまで、予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐ可き者なり」とある。

さて、此処で法門に未熟な北面の武士を名乗る、阿呆華講の人が「日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐ可き者なり」の御文を我流に解釈して、「総貫主とは複数である」などと、幼稚な愚論を展開して恥の上塗りをしているのであるが、先ほどから拙者が丁寧に「日興嫡嫡付法の上人」の意味を教えておいたのである。

何度も言うようだが、嫡々付法の上人」とは、御本仏大聖人の仰せのままの「色も変わらぬ寿量品の三大事」と仰せられるように、寸分も違わぬ下種本仏大聖人様の本願を実践する貫首上人を表して、「総貫首」と仰せられているのであって、何も、全ての次第相続を受けた貫首を、「総貫首」と仰せられているのではないのである。

百歩譲ってお前さんの主張する如くであるならば、何故に、今日の宗門で、貫首を「総貫首」と呼ばないのか? その理由を万人が納得の行く説明をしたらどうなんだね。

大聖人の唯一の御遺命をドブに捨てた日達等の悪坊主を「総貫首」と呼ぶのか、どうか、我説を展開して鼻風船を膨らませて喜んでいないで、坊主の成り損ない思しき、例の、富士川一郎君か、もっとマシな坊主を連れておいで、赤恥を描かしてあげるよ。

待ってま~す





 

解ったかい?

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時42分54秒
返信・引用
  北面の武士さん、貴方はあまり図に登らないほうが良いですよ。

次に、『百六箇抄末文の「日興が嫡々付法の上人」が日興上人ただお一人を現す根拠を日本語の文法を示して説明せよ!』などと。

遂に、貴方は出鱈目な言い掛かりをつけて来たようですが、拙者の書いた文面を良く咀嚼した上で、次へ進んでください。

拙者は一度たりとも『「日興が嫡々付法の上人」が日興上人ただお一人』、などとは書いた事実はありません。拙者が書いた文章は、総貫首と呼ばれるお方は、御開山日興上人唯一人に限る。と申し上げているのであります。それは、御本仏大聖人は勿論、嫡々付法の日寛上人の御教示に習うからであります。.

それよりも何よりも、貴方は他人に質問するよりも、自分自身が「日興が嫡々付法の上人」の意味が理解できていないため、拙者にその回答を迫っているのではありませんか? 違いますか。

貴殿は、この意味が解っていない様子なので、拙者が「日興が嫡々付法の上人」の意味を教えてあげようね。

「嫡々付法の上人」とは、「富士の流儀聊かも先師の御弘通に違せざる事」とお示しのように、血脈付法の嫡々の上人の事なのである。それとは反対に、「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構え」等の指摘に該当する悪坊主の日達や、日顕は等は「非嫡」の比丘というべき者なのである。

続いて「貫首とは御歴代上人のみで末寺住職には使用しない根拠を指し示せ?」とのことですが、

貫首とは、総本山の住職を指して、別名貫首とお呼びするのである。それ以外の末寺の長は、○○寺の住職と呼ぶのである。そうしなければ時代が下るに連れて、何処を向いても貫主で溢れかえる事になる。

余談になるが、北面の武士さんが貫首を指して大統領と呼びたければ、御随意にどうぞ。


 

北面の武士さんの幼稚な質問を嗤う

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時35分9秒
返信・引用
  北面の武士さんが、またまた稚拙な質問をしてきましたね。ほんまにうんざりしています。

北面の武士さんの云く「再び、質問をします。
①時代時代の法主上人が誤った場合、どなたを師匠となすべきでしょうか?
念のため付言しますが、師匠とは法主上人と同時代に生存なさっている方なのは、言うまでもありません。
②上記の根拠の文証をお示しください。」というものです。

①の質問に対する回答

実例を挙げるまでもなく、日蓮正宗の六十七代の遊蕩坊主の悪名高き日顕は、猊座を簒奪した昭和54年7月から退座した平成17年12月までの長き27年を考えれば、ゆうに四半世紀を超える長きに亘るものでした。

普通、世間でも10年一昔と云われますように、10年も経てば世代交代が行われるのは当たり前のことです。貴方の幼稚な質問によりますと、師匠と弟子は同世代に生きる者でなくてはならない。との事ですが、その条件を満たすべく、遊蕩坊主の弟子は当然の事として、今の出家坊主の中を見渡しても、大聖人の本願たる国立戒壇のコの字も知らない坊主で充満している有様だ。

そのような環境の中で、第六十八代の猊座に就いた日如さんも、御寿七十歳を超えた老僧と雖も、依然として国立戒壇を称揚することは一切していない。それもある意味、致し方のない事かも知れません。その第一の理由は、遊蕩坊主の日顕の時代が余りにも長く続いたという事でしょう。

そう云う事から考えると、同世代に生きた正師を求めたところで、皆がみな曲がっているのであるから、同世代に生きた人の中から正師を求めたところで、曲がった者しか居ないのは当然のことです。余り馬鹿げた質問は止めておきなさい。仮に、宗門に大聖人の正義を叫ぶ僧侶が出来したところで、現行の宗門の定める宗制・宗規を振りかざすまでも無く、二言目には擯籍処分に付されるのが落ちだろう。

世間を見れば、日蓮宗と名の付く教団は数多ありますが、その源を辿れば五老僧に源を発していますが、悲しいかな、それらの日蓮宗には、戒壇の大御本尊様がお在しまさぬ故に、一度曲がれば修正が効かないのは見たとおりなのだ。

然しながら、正系門家の有り難いところは、戒壇の大御本尊の在します富士門流には、時が来れば、上代の御開山日興上人、日目上人の御在世を今に移したような正義が必ず蘇ることになっているのである。

②の質問に対する回答

貴方の強調されるように、貫首が間違ったなら、同世代に生きた新たな師匠などと言っても、それは土台無理な話なのです。それが為の御書であり、先師の御筆記等であります。したがって、時の貫首が仏法に相違して曲がった事を言い出したら、その貫首を用いることなく、それ以前の正しい貫首の御教示を拝し奉るべきなのです。

そのことを仰せられたのが、置文の「時の貫主たりと雖も、仏法に相違して己義を構えば之を用ふべからざる事」とある誡文が文証なのである。それを偽書扱いする者は仏敵というべきである。

次に貴殿は『代々の聖人悉く日蓮」が一往の義だと言われましたが、それは「悉く」という文字により覆されています。日本語の御教示をしましょう。日本語で「悉く」 とは「一つの例外も無い事」を言います。貴殿のいう通り「代々の聖人を日蓮と拝する」が一往の義なら「悉く」と言う文字が死に体になります。「悉く」という二文字が、再往を許してはいないのです。』などと。

貴方は「代々の聖人悉く日蓮」の「悉く」に拘っているようでだが、文意は、文の意味を強調されて仰せられているのである。その理由は、置文の冒頭に「富士の流儀聊かも先師の御弘通に違せざる事」の誡文を実践される貫主であることを大前提に「代々の聖人悉く日蓮」と強調されているのであって、此の御文を拠り所に曲がった坊主を「悉く日蓮」と敬うことは明らかな間違いなのである。これでは、貫主本物論に傾斜していく危険性を孕んでいるのである。今の法華講諸君は、貴方を含めて貫主本物論にのめり込んでいる哀れな姿だと指摘しておく。

信徒の池田大作に諂って仏法をを曲げるような、悪坊主日達や遊蕩坊主の日顕は当然の如く「悉く日蓮」とは、天地がひっくり返っても言えないのである。

なお、堀日亨上人の二十六箇条偽書説について、堀日亨上人の講述の中の「聖凡論」という章にあるという事ですが、拙者としては、その聖凡論なる書籍を手に入れることは出来ないので、論評の仕様がありません。

ただ言えることは、宗門で発刊された新編御書にも、世間の一部で偽書と云われている三大秘法抄や二箇相承、あるいは、貴方が偽書などと決め付けている二十六箇条の置文等のすべてが編纂され、御書全集の中に掲載されています。仮に、それらの重要御書が偽書ならば、編纂する側に罪があるのであって、拙者には貴方如きから嘲笑される理由は何一つ無いという事だ。あまり逆上せ上がって、他門流のいう悪口に同調してはならないことを警告しておきます。

貴方は偉そうに居丈高に構えるのではなく、聖凡論のどこそこに、このように記されているという風に、文言を示してこそ、説得力が有ろうというものだ。





 

北面の武士さんの解釈は間違いです

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時26分10秒
返信・引用
  有頂天の北面の武士さんの云く「 開山二十六箇条中における「時の貫首」とは、どなたの事と拝するかについては、再び宗祖の御妙判を紐解いて見ましょう!百六箇抄末文に以下のような記述があります。「日興が嫡々付法の上人を以て総貫首」つまり血脈付法の上人は貫首では無く、総貫首なのです。それでは貫首とはどなたと事でしょうか?開山二十六箇条の対告衆を考えれば明確になります。」

つづけて「上記文書を書かれた時、開山上人は重須談所におられました。対告衆も「後代の学侶」と明確に書かれています。重須談所は学問所です。数々の学侶がおられました。学侶を統括していたのは、重須談所の学頭つまり貫首になります。対して血脈付法の上人は仏法相伝を受けられた総貫首です。つまり、「時の貫首といえども」の文は、以下のように拝せます。代々の重須談所の貫首といえども、総貫首が所持する仏法に相違する己義があったなら、これを用いてはならない。」

更に「ところが、時代が下りますと、重須と石山には交流が絶えてしまいました。
自ずと時の貫首の意味が空文化しましたので、御歴上人方々が、御自身の謙譲の美徳と御自戒の意味をこめて、石山法主上人としたに過ぎません。つまり上記文書を石山法主攻撃の根拠にするのは」等とあります。

貴方は根的に総貫首と貫首の解釈が間違っています。貴方が引用した「日興が嫡々付法の上人を以て総貫首」云々の御文は、先ほど申し上げとおり、日興上人から次の日目上人へ、更に次々へ唯授一人の血脈相承を「嫡々付法の上人を以て総貫首 」と仰せられている理由は、大聖人から二祖日興上人への唯仏与仏の付嘱は、日興上人を総貫首として定められた上での御相承です。

此れは一器の水を一器に移すが如き御相承であれば、嫡々と伝えられる一糸乱れず異口同音の色も変わらぬ相承であるから「日興が嫡々付法の上人を以て総貫首」と仰せられたのであって、誰でも彼でも時の貫首だからと云って総貫首と解釈するのは間違いなのです。総貫主としての日興上人のお立場は、全体を総べる地位にあられるのであります。

したがって、日興上人以外の血脈付法の上人と雖も「貫首」とお呼びするのが正しい呼び方なのです。その故に、日寛上人は「吾が開山上人は智は先師に等しく、徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総寛首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す。云々」と仰せになっているのです。

また貴方は、重須の「学頭職」の地位にある者を貫首と呼んでいたなどと、とんでもない事を言っていますが、これも大きな間違いなのです。反論がおありなら文証を示してください。日興上人の後を継がれた三位日順にしても、貫首と呼ばれていた事実はありません。

そのウソ如何とする



 

北面の武士さんの邪説とは

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時18分26秒
返信・引用
  北面の武士さん、貴方の我説は我見極まる邪義です。拙者はスリカエなどしていませんので、しっかり眼を開いて拙者の投稿文を良く読むことです。

先ず、貴方の我説にこのようにあります。云く「三大秘法は当代上人の掌の中に存し、それ以外の何処にも無い。
当代上人を離れて三大秘法は存在しない。」というものでしたね。

バカも休み休み言わなければなりません。貴方の我説に従えば、「三大秘法は当代上人の掌の中に存し、それ以外の何処にも無い。当代上人を離れて三大秘法は存在しない。」という事であれば、三大秘法はの全ては、遊蕩坊主の日顕乃至は日如の掌の中にのみ有って、それ以外の何処にも無い」ということですね。

そうしますと大聖人のお残しになられた、三大秘法抄等の文献は一切必要なくなりますね。そんなバカな事がありますか! そんな邪説は狂人の戯言です。誰が考えても解る御書の存在を否定する如き、邪説を展開するものではありません。

次に「宗祖も開山も過去の全ての御歴代上人の魂ぱくは、全て肉体から離れられ、ご当代上人の御内証の中におられる。すなわち、当代上人の御指南は全て、宗祖および全てのご歴代上人の御指南として拝する。ご歴代当代上人は全て総貫首である。」などと。

あまり神がかり的な相承論を展開しない方が良いですよ。貴方が引用の「代々の聖人悉く日蓮」とありますのは、一往の話です。即ち一往とは、爾二不二ということです。

何度も指摘しているように、ニセ戒壇たる正本堂を広宣流布の御遺命の戒壇などと吹聴して無辜の信徒を騙し、その上、国家を欺いてまでして、大聖人の究竟の本願たる国立戒壇を否定するような貫主は、御本仏大聖人と同じ法号で呼ぶのは、如何にも恐れ多い事であります。こういう貫主は悪坊主と呼ぶべきなのです。

大聖人の御存生の時代にも、五老僧と呼ばれる邪僧があったように、何時の時代にも脱線する坊主はいるものです。その故に、日興上人は置文の冒頭に「富士の流儀聊かも先師の御弘通に違せざる事」と誠誡遊ばされ、続けて「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用ふべからざる事」と仰せられているのです。

悲しいかな、貴方の愚論に従えば、聖僧も邪僧も隔てなく、味噌も糞も一緒にして貫主職を継いだ者は須らく「代々の聖人悉く日蓮」と崇めなければならないとは馬鹿げた話です。大聖人も御開山日興上人も、邪は邪として何処までも排斥しているのです。それこそが令法久住の精神なのです。大聖人の御心に反する幼稚な邪説は展開しないことです。

つづけて「日興上人二十六箇条には古来偽書説、一部後加文説がありますので、使用には細心の注意が必要です。本当に日興上人の御言葉か確定しない文証を、簡単に使用しないようにお願いします。」とあります。

貴方の仰る上記の文章は、到底正宗信徒の発言とは思えない噴飯物ですね。この種の悪口は俗に邪宗日蓮宗の僧俗が言う言葉です。一例を挙げれば、三大秘法抄は偽書、二箇相承は偽書、等と宣伝する者達のことです。

それらの者と貴方はどれ程の違いがあるというのですか。恐れ多くも日蓮正宗の信徒を名乗る者なら、それらの悪宣伝をする者たちとは対決すべきなのです。それを有ろう事か、彼等の尻馬に乗って、二十六箇条は偽書呼ばわりするとは、正宗信徒の風下にも置けない、大謗法者と呼ぶべき得体の知れない人物としか言いようありませんね。

ところで貴方の吹聴する 「日興上人二十六箇条には古来偽書説、一部後加文説があります」との説について、何処の誰某が、そのような事を書いているのか。その文献をお示し下さい。

逃げんなよ。




 

三大秘法歪曲の懺悔は、世親の如く、馬鳴の如く、吉蔵の如くでなければならい

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時04分8秒
返信・引用
  「最後に申すべき事を砕破する」(P.17)に、次のような一節がある。云く「血脈付法の御法主上人は、御内証に大聖人以来の法水を御所持遊ばされ、以て御遺命を捧持されているのである。血脈相承に関わりようもない在俗の身でありながら、血脈を否定し御遺命守護などと僭称する汝こそ、平成の”弓削道鏡”というべきである」などと、邪義坊主らが寄って集って、顕正会の浅井氏を誹謗中傷しているのだ。

弓削道鏡といえば奈良時代に、称徳天皇(女帝)に取り入りその愛人となり、ついには自らが天皇になろうとした法相宗の怪僧のことをいう。また、男のシンボルである巨根の持ち主でもあったというから恐れ入る。(日本ではこの種の怪僧を、ロシアの怪僧ラスプーチンに准える事がある)

話が少々逸れてしまったようなので本題に戻そう。邪義坊主の云う浅井氏に対する批判は、まったくお門違いも甚だしい。浅井氏は法相宗の怪僧でもなければ、皇位を簒奪しようとした者でもない。時に、宗門と学会が二人三脚で世間の目と国家を欺くために、ニセ戒壇の正本堂を建て、御本仏大聖人の本願たる国立戒壇の御遺命を破壊せんとした時、妙信講の命運を顧みず、身命を賭して腐敗堕落した宗門・学会の教義歪曲を諫め続けて来た護法の大信者なのである。

それは置くとして、邪義坊主らは遊蕩坊主の日顕に諂って云く「大聖人以来の法水を御所持遊ばされ、以て御遺命を捧持されているのである」云々とあるが、『大聖人以来の「法水」』とは、本門戒壇の大御本尊の御事であるから、法水が断絶する事など決してあり得ないのである。つづけて、遊蕩坊主の日顕が「御遺命を捧持されている」とは、此れこそは真っ赤なウソである。邪義坊主らは御本仏大聖人の御遺命が如何なるものであるか、それさえ理解できないで、日顕が「御遺命を捧持されている」などと嘘で固めた寝言を垂れ流しているのだ。

御本仏大聖人の御遺命とは、広宣流布の暁に、時の天皇陛下(本有の国主)の詔勅を賜り、国家意思の表明を以って、富士山天生原に建立する国立戒壇の御事なのである。此の国立戒壇こそが仏国実現の秘術なのである。

そもそも日蓮正宗を正系門家と称する所以は三つある。その所以を挙げれば、①本門戒壇の大御本尊が在しますこと。②唯授一人の血脈相承が断絶していないこと。③御本仏大聖人本願たる国立戒壇の御遺命を堅持していること。以上の三つを七百年の間守り続けて来た事を以って、日蓮正宗を正系門家と呼んできたのである。特に、国立戒壇建立は、宗門七百年の宿願として、一糸乱れず異口同音に叫び続けて来たのが日蓮正宗の歴史だったのである。

ところが、第六十七代を名乗った遊蕩坊主の日顕は、①②③のいずれも否定して、破壊した稀代の悪比丘なのである。

①は、昭和53年2月7日、川辺慈篤房に戒壇の大御本尊は鑑定の結果ニセ物と解ったと発言した。②は、昭和54年7月22日、先代の日達管長がフジヤマ病院で急逝したことを奇貨として、自己申告の形で猊座に就いた。此れ即ち授なく、受なしである。是れはまさしく血脈の否定に当たる。③は、宗門七百年の宿願である国立戒壇を弊履の如く投げ捨て、ニセ戒壇の正本堂を御遺命の戒壇と偽り、正系門家の命とも云うべき三大事の法門を全て破壊し尽くしてしまったのだ。

続けて邪義坊主の(同P.17)云く「そもそも、唯授一人金口嫡々の血脈相承により大聖人の御遺命を捧持遊ばされている御法主上人が、御遺命に背くなどということは絶対にあり得ないことである」などと白を切り、平然と開き直っている。

このような邪義坊主らの鸚鵡返しの言辞には、唯々辟易するばかりである。思い返してみれば、謗法の世間の批判を恐れ、現行憲法に諂う余り、あの正本堂を機として、宗門は大聖人の本願たる国立戒壇を捨て去ったのである。その腐敗堕落を諫める妙信講の頸を刎ねて、己を顧みる事さえしないまま、諫暁する者に未だに有らぬ非難中傷を加え懺悔することを知らない。

そればかりか、依然として自らの無謬性を頑なに誇示するばかりで、歴史を検証することもなく、ニセ戒壇たる正本堂のみを取り壊して、教義の誤りを認めることもなく、平然と口を拭いだんまりを決め込んで頬かむりをしているのだ。その上、腐敗堕落した姿を白い袈裟衣で身を覆い隠し、袈裟の権威を笠に着て聖僧のごとく振舞うことに余念のないありさまだ。

ニセ戒壇の正本堂は解体すれば、建物は跡形も無くこの世から永久に抹殺できるだろうが、仏法の歪曲は、御本仏大聖人の仰せのままの御開山日興上人、日目上人の上代の富士の源流に立ち返らなければ、絶対に改まるものではない。それには、命懸けの改悔が無ければ罪を滅することはできないのである。ましてや、反省のない生半可な懺悔では、到底後生の大苦は決して免れるものではない。真(まこと)の懺悔とは、世親のごとく、馬鳴のごとく、吉蔵のごとく、でなければ絶対にかなわないのである。

彼の賢人の世親は大乗教を誹謗した時、無著菩薩に破折され忽ち邪見を改め、その罪を滅せんがために自分の舌を切らんとしがが、無著に止められて五百部の大乗論を作って讃嘆したという。また、馬鳴は元は外道の長であった時、勒比丘と内外の邪正を論じて負けて悔悛し、自らの首を刎ねんとした。その時、勒比丘からその頭と舌を以って大乗を讃嘆せよと諫められ、大乗起信論を造ったと言われている。更に吉蔵は、天台大師に己の邪義を打ち砕かれるや、今までの謗法の罪過を滅せんがため、講を解散し、かつての弟子が見守る中で、身を肉橋として天台に仕え恥を耐え忍んでいる。これらの賢人は後生の堕獄を免れんが為の懺悔の姿なのである。

いま、唯一の正系門家と謂われる日蓮正宗の中で、国立戒壇に違背して邪義を展開する出家、在家の謗法者らは、大聖人以来の国立戒壇を称揚し、命懸けで国立戒壇を讃嘆してこそ、はじめてその罪過を免れることが出来るのである。
 

これでも解らんか?

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年11月 5日(土)10時01分37秒
返信・引用
  北面の武士さんとやら、貴殿は事ある毎に旧信徒であることを鼻に掛け、顕正会を上から目線で睥睨しておいでのようだが、以外にも、正宗信徒にしては三大秘法義のイロハもお解りならないようなので、先刻、噛んで含める如く記した積りでしたが、それでも、またまた重ねて愚問を繰り返していますのでお答えしましょう。

①仮にあなたの主張が正しいとして、法主上人に代わる師匠は、どなたになりますか?
②その文証を宗祖の御妙判でお示しください。

お答え

①については、先刻お示ししたように、大聖人の三大秘法義を正しく展開される貫首上人の御教示を前とすべきであります。御開山日興上人は、遺戒置文に「時の貫首たりと雖も、仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」御誠誡遊ばされているのであります。したがって、大聖人の御心に違背する日達管長如き、悪坊主の間違った指導は用いてはならないのであります。依って、近きは第六十五世日淳上人等の正しき仰せを旨として、広宣流布に邁進すべきなのであります。

②については、大聖人様は一期弘法付嘱書に「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」と仰せでありますように、末法の我等凡愚は、大聖人亡き後、御開山日興上人の仰せを唯一の正しい指針として、心行に励むことを御教示下さっているのであります。これこそが宗祖の御妙判であります。

上記の文意を解説するまでもなく、始めに「日蓮一期の弘法」とは、三大秘法の御事であります。次に「白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」とは、唯授一人の血脈相承のことです。故に、三大秘法のすべてを御開山日興上人に付嘱したのであると仰せなのです。続けて「本門弘通の大導師たるべきなり」とは、大聖人亡き後は、日興上人が広宣流布の総大将となって、三大秘法を弘通すべきであるとして、日興上人を末法万年の総貫首として定められているのであります。

第二十六世日寛上人は、大聖人の御意を受けて云く「吾が開山上人は智は先師に等しく、徳は諸弟に超えたり、故に塔中伝授の秘要を付して本門弘通の大導師と称し、末法万年の総寛首と定め、二箇の相承を授けて延山の補処と為す。云々」と仰せ遊ばすのであります。
                                                                 以上
 

偽戒壇正本堂は解体しても、三大秘法義の歪曲は未だ正されてはいない

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月27日(木)18時03分0秒
返信・引用
  北面の武士さん、貴方のご質問に「大石寺門下では、三大秘法義を学ぶには相伝者つまり法主上人からと決まっているのですが、あなたの言う通り法主上人が誤っている場合、どなたを師匠として学んだら良いのでしょう?」という問い掛けがありましたので簡単にお答えします。

先ず、三大秘法義とは貴方もご承知のとおり、①本門の本尊、②本門の題目、③本門の戒壇の三義を展開する事を言うのですが、宗門最大の信徒団体であった創価学会が昭和47年10月、第六十六世日達管長の時に建てた、いわゆる「正本堂」の意義付けに関する問題で、宗門、学会、妙信講(当時)の間で異議が生じ、それ以来宗門と学会は、正本堂を指して大聖人の御遺命の「事の戒壇」と主張し、今や広宣流布は達成したと大宣伝を始め、八百万信徒と一国を嘯いたのであります。

一方の妙信講は、正法本堂は事の戒壇に非ず。ましてや、広宣流布は未だ達成されてはいない。僅か八百万足らずの学会員で建てた正本堂は、大聖人が一期弘法付嘱書と、三大秘法抄で仰せられた広宣流布の暁に国家意思の表明を以って建立する、本門戒壇では有り得ないと主張し続けた事から、宗内では日達管長に背く謗法団体としてレッテルを貼られ、昭和49年8月、妙信講は、遂に講中解散処分を受けるに至りました。

そこで本題に入りますが、六十六世日達菅長の前の、第六十五世を継がれた日淳上人は、事の戒壇義について次のように仰せであります。

云く「この元朝勤行とても、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮 昭和34年1月号)と。

この御教示は極めて重い御指南であります。今、日蓮正宗の全国の末寺で毎年執り行われている、元旦勤行の謂れを紐とく時、日淳上人は大聖人の御遺命たる「国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行」と言われているのであります。正宗信徒たる者、此の御開山上人の仰せに思いを馳せるべきであります。

また「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)と仰せであります。ここでは、日蓮大聖人の本願は、広宣流布の暁に国立戒壇を建立して、日本国を仏国土にする事が本願と仰せられているのであります。

更に、日淳上人は「真に国家の現状を憂える者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決済して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和32年1月号)と御教示であります。

その後、第六十五世日淳上人の後を継がれた六十六世日達上人も、御登座直後には次のような正論を述べられていたのであります。

云く「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華 昭和35年1月号)と。

また云く「真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に邁進せられんことを願うものであります」(大日蓮 昭和35年1月号)と。

つづけて「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論、この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮 昭和36年5月号)等と。真に立派な御指南です。

ところが、創価学会の圧力に屈するや、たちまち今までの正論を180度も転換し、大聖人の教義とは思えない、このような曲がった事を言い出したのであります。此れでは師弟不二・師弟一体ではありません。

云く「日蓮大聖人は、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどとは仰せられておりません。日本の国教でもない仏法に国立戒壇などということはありえない」(大日蓮 昭和45年6月号)と。無慚とは此の事であります。

此処で一期弘法付嘱書と三大秘法抄の文々句々を詳述することは詮ではないので、要旨を簡単に述べるに止めますが、一期弘法抄の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とは、約言すれば、我が国天皇陛下の護持する三大秘法とは、まさしく国教にすべき教法であります。国教にすべき三大秘法だからこそ、国立戒壇でなければならないのであります。

また、三大秘法抄の「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に三大秘密の法を持ちて」とあるとおり、王法とは、国家の統治主権、国家権力、政治等を意味するのであります。故に、此れ等が仏法と冥合し王臣一同が受持する三大秘法とは、国教そのものであります。また「勅宣並びに御教書」とは、今日的に約言すれば、勅宣とは、天皇陛下の発せられる詔(みことのり)であり、御教書とは、国会の議決並びに閣僚の閣議決定を指すのであります。したがって、「勅宣並びに御教書を申し下す三大秘法とは、是れ国教の謂いであります。

然るところ、日淳上人の仰せが大聖人の御心に適う御言葉か、あるいは日達管長の国教否定の言が正しい教義か、おのずから明らかであります。故に、御開山日興上人は遺誡置文の中に「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」と遺誡遊ばされますように、正宗信徒は、大聖人以来の正しい教義を展開される貫首上人の御教示を用いるべきは当然であります。此れに従わない者はまさに転動の衆生であり、御本仏大聖人に背く謗法の衆徒となるのであります。

日達管長は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」の御文を解釈して、二通りの相反する意味を述べていますが、破廉恥とはこの事であります。

御当座直後の正論「後世の総本山の代表たる貫主であっても、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫主を用いてはならない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくの如く実に厳正であったのである」と。

ところが顕正会の諌めに会い、この条目が邪魔になると「時の貫主とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当たって、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫主の権限を示されているのである」(同講義録 昭和47年7月20日版)等と、何んとも恥知らずな二枚舌ではないか。

相承を受けた貫主と雖も、魔が入るとこのように豹変するのであります。御開山日興上人は、長い広宣流布までの道程にはこのような不届き者が出て来ることも想定されて、二十六箇条の置文をご用意下されているのであります。その不届き者こそ、六十六代の日達管長その人だったのであります。

日達管長は正本堂を事の戒壇と認めない妙信講の浅井氏に対し、後年貫主にあるまじき与太話如き悪態をついているので、これを機に紹介する事にしましょう。

云く「今振り返って我々が戒壇を論ずる時、三大秘法抄・一期弘法抄に云う所の戒壇は理想の大戒壇である。それは望ましい戒壇である。然し今我々は現実に帰り、この戒壇の御本尊まします所は即ち常寂光・真の霊山であるという深い信念の下に御本尊を信じて行かなければならない。

若し、現在のこの戒壇の御本尊在します所が、事の戒壇でなければ、所詮義の戒壇であるならば、ただ理論上のことだけになってしまう。それならば、何も本山まで貴い時間と金を費やしてお参りする必要はないことになる。もしどおしても三大秘法抄のあの立派な戒壇を望んで、それが最高の戒壇として、そこにおいて成仏を遂げようとするならば、それまで本山に来なければよろしい。それまで成仏しなければ宜しい。ただいつ来るか判らない未来の世界に耽っておるよりも、現実この世において我々は信心の誠を捧げていかなければならない」(大日蓮 昭和45年7月号)と。

これでは、まるで悪餓鬼の捨て台詞ではないか。御抄に云く「影は体より生ずるもの、千里の果てより災い来るべし」また云く「仏法ようやく転動しければ世間もまた濁乱せり、仏法は体なり、世間は影なり、体曲がれば影ななめなり。云々」と。正系門家の仏法は、彼の六十六代日達管長を機に正本堂から現在も曲がったままなのである。正本堂は解体したと言えども、三大秘法義の歪曲は未だ正されてはいないのであります。

このような体たらくで、何時まで安穏が保たれるという保証があるのか、正系門家の仏法が曲がれば、国の傾くのも当然の帰結である。このままでは日本国民は早晩、取り返しのつかない未曾有の国家体験を味わう羽目になる。御抄に云く「かかる日蓮を敬うとも、悪しく敬まわば国亡ぶべし」と、また云く「その時、如何がせんや。云々と」



 

堕落坊主らの贅沢三昧の酒宴こそ恥ずべき行為だ

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月24日(月)18時23分40秒
返信・引用
  「最後に申すべき事を砕破する」(P.10~11)に、浅井会長が遊蕩坊主の乱行ぶりを指摘した中に、このような行(くだり)があるので、参考までに紹介することにしよう。

云く『「不二の尊体」が、どうして芸者遊びなどに現(うつつ)をぬかそうか。信徒の血のにじむ供養を三十億も浪費して都内の一等地に超豪邸を二つも造ろうか。これらは、「法主の皮を著たる畜生」の所行ではないか』というもの。

これに対して邪義坊主らは、「これもまた創価学会の受け売りである」として、かかる報道を猿マネして大々的に誹謗する汝の行為も違法性を有するものと断ずる」などと鼻息を荒くしている。しかしながら、学会が別の事件で遊蕩坊主日顕の芸者遊びを指摘したことに対し、東京高等裁判所が「違法性がある」等と注意を喚起したことがあったのかは不明であるが、浅井氏のこの度の指摘が、恰も刑事事件に発展するかの如く吹聴している陰惨ぶりだ。

仮に、二ヵ所の豪邸の件で、過去に宗門と学会との間で係争事件になった経緯があって、宗門側が勝訴判決を受けた場合と雖も、高等裁判所が敗訴した学会に対して「違法性がある」等と、後になって注意を喚起する事など有り得ないのである。それも同じ事件で、再び宗門が学会の誹謗中傷を止めさせるべく、新たな訴訟を提起して再び勝訴しない限り、東京高等裁判所が「違法性がる」等と、注意を喚起することなど絶対に有り得ない話なのだ。素人を騙すにも大概にすべきである。

つづけて「御法主上人は、その折、某二老師をの古稀の宴席に他の第六十世日開上人の遺弟、法類の方々と共に、それも各々夫人同伴で招待されたものである。したがって、汝が誹謗する如き、”芸者あそび”などではない。二老師の一生に一度の晴れの御招待の席を”芸者あそび”などと貶すとは無慚極まる言というほかない。また大石寺所有の出張所等は総本山が必要に応じて建設した公的なものであり、総本山大石寺の出張所に相応しい質実な建物である。”超豪華”などという華美なたてものではないことは、宗内僧俗一同が了知していることである」等とふんぞり返った言い訳を羅列しているのである。

然しながら考えてみるが良い。だいたい広宣流布以前に古稀の祝いか何かは知らないが、出家坊主等が寄って集って、夫人同伴で盛大に酒盛りの宴(うたげ)を開くこと事態が大きな間違いなのである。それも自らが額に汗して手にした金銭では無い筈だ。憚りながら言わせて貰えれば、まるごと信徒が血の滲む思いで供養に励んだ浄財である。それを二ヵ所の出張所の建設だの、古稀の宴会だの、一体貴方方は何様もつもりなのか。

これでは、まるで公家か、殿上人の神楽の宴を思わせるような酒宴ではないか! 「二老師の一生に一度の晴れの席」とは、開いた口が塞がらないとは此の事だ。このような贅沢三昧の酒宴を目の当りにしたら、少欲知足が呆れて逃げ出そうと云うものだ。

御開山日興上人は置文の中で「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて隋力弘通を致す可き事」と御誠誡であられる。嘆かわしいかな、折伏を忘れ、御遺命を放擲した現今の出家坊主らの行状を糺すには、日暮れて道なお遠しの感を深くする者は拙者一人ではなさそうだ。

つらつら思ん見るに、現今の日本の政治も経済も行き詰まったまま出口の見えない中、巷には失業者が溢れ、明日の生存・命すらままならぬ人々で溢れるご時世を他所に、堕落した坊主らは、他人の財物で豪勢な古稀の酒宴を張るとは、決して許されるものではない。このような時代こそ、正系門家の僧侶が自らの襟を正し、社会を善導し、警世の叫びを発信する時なのである。

また、都内に有する二ヵ所の出張所についても「”超豪華”などという華美なたてものではないことは、宗内僧俗一同が了知していることである」などと、的外れな反発をして平然、得々としているようだが、その出張所の存在を了知している僧俗は殆ど皆無ということだ。この建物も、学会から日顕の隠居所と暴露され、プール付の超豪華建物などと、ヤリ玉に挙げられた経緯があった、いわく付の建物なのである。

考えて観るに、正系門家の坊主らが、一度として混迷する社会を善導するような、訓示を垂れ、警鐘を鳴らして国民を勇気づける真似事でもした形跡があっただろうか。所詮、国立戒壇の大目的を放擲した邪義坊主らには、世間に訴える何物も持ち合わせていない事を証明して余りある。世間の誰からも批判を浴びるような行状は、すべての芯を喪失したという恥ずべき姿なのである。


 

「最後に申すべき事を砕破する」は、日顕が泣いて喜ぶお世辞競争の舞台となっている

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月19日(水)12時28分31秒
返信・引用 編集済
  「最後に申すべき事を砕破する」(P.9)に、邪義坊主らが涙ぐましいばかりに、あの遊蕩坊主をヨイショして云く「真実の現証をいうなら、それは御法主上人日顕上人の御登座二十七年の長きにわたる宗門教導のお振る舞いと、僧俗一致の真の広布大前進の実相こそ、大聖人の文低下種仏法を日顕上人が厳然と承継遊ばされていることを証明しているのである」などと、何処をどう押したり引いたりすれば、このような諂文が書けるのか、涙ぐましいとは、まさしくこの事である。

唯邪義坊主らは、もの申さぬ戒壇の大御本尊よりは、遊蕩坊主のギョロ目が怖いと見えて、日顕の遊蕩ぶりをひた隠しに隠し「宗門教導のお振る舞いと、僧俗一致の真の広布大前進の実相」などと、遊蕩坊主日顕が泣いて喜ぶような、まるで聖僧の見本であるかのような書きっぷりに終始しているが、真に罪作りとはこの事である。遊蕩坊主日顕は、猊座に就く前から、女遊びには目が無かったと見えて、不名誉な実績が取り沙汰たされていたのである。

例のシアトル事件といわれる、あの忌まわしい買春事件の顛末ときたら、プレィ代を支払う、払わないの売春婦との間で見っとも無い押し問答の挙句、ついに真夜中に至って警察沙汰に発展し、地元学会員のクロウ 某なる女性が遊蕩坊主の身元引受人となって救い出し、シアトル警察のお縄を免れるという、大凡、出家僧侶に有るまじき破廉恥なものだった。また台湾での遊蕩ぶりについては、夙に有名である。現地のあらゆるメディアが、ニュースで大々的の報じているのである。この様子をユーチューブが動画付で紹介している有様だ。地元テレビが写真付きで、日顕の遊蕩ぶりを大きく報じている様子を取り上げているので隠しようがない。

それは兎も角、宗門行政に於いても日顕の狂乱ぶりは桁外れなものだった。血脈相承の授受に疑いを持った坊さんの頸を次々刎ねて、擯籍処分に付すことなど朝飯前の腕試しのようなもので、その数二百余名を数えるほどだ。その中には、かつて先代の猊座を務めた日達管長の次男坊である、実修寺の住職を務めていた細井琢道が含まれていることは、ある意味、看過し得ない重大な問題を含んでいると言えよう。

遊蕩坊主の日顕は、信徒を教導するどころか三大秘法義を歪曲し、大聖人の究竟の大願であられる国立戒壇を弊履の如く擲ち、正本堂を事の戒壇などと強弁した揚句、昭和47年6月には「国立戒壇論の誤りについて」と、同51年2月には「本門事の戒壇の本義」なる二冊の悪書を学会の法律家グループの示唆に基づいて書いている。これらは、年来の身に余る奢侈に溺れた諂いと、ゴマ擂り根性からでた最大の悪事であった。信徒団体の学会を、後年手の付けられないほど驕慢ならしめたのは、他でも無い、先代の日達管長と、遊蕩坊主阿部日顕ら二人の悪坊主だったのである。

それで最大の青天の霹靂は、宗門上得意の信徒団体であった創価学会の池田センセーと大喧嘩を始めるや、八百万の信徒団体を解散処分に付し、会長池田センセーをして信徒除名処分に付した挙句、正本堂は解体してしまったのである。何が「御登座二十七年の長きにわたる宗門教導のお振る舞いと、僧俗一致の真の広布大前進の実相」なのだ。邪義坊主等は、日顕に対して先を争って恥ずかしくなるようなお世辞を並べているのだが、仮に、冗談にしても「僧俗一致」なるものは何処を探しても存在しない。諂いも大概にしなければならないのである。

続けて(P.10)云く「御法主日顕上人が、いつ”御本仏一期の御遺命を破壊せん”としたのか。それこそ事実無根の妄言である」等と、見事な開き直りである。

拙者が、今更遊蕩坊主の在座二十七年の大謗法を挙げて説明するまでもなく、遊蕩坊主日顕は、次のような三大謗法を犯しているのである。①昭和53年2月7日、戒壇の大御本尊はニセ物と発言。②昭和53年7月22日、唯授一人の血脈相承を壟断し破壊した。③御本仏一期の御遺命たる国立戒壇を放擲し、正本堂を「事の戒壇」と宣言した。これ等の三大謗法は既に言い尽くされているおなじみの犯行なのである。
 

逃げた僧俗らが今になってウソを並べて強がりを吹聴している

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月16日(日)15時16分51秒
返信・引用
  最後に申すべき事を砕破する(P.6~7)に、このような記述がある。少々長いが此れを引用し、後に拙者が破折班の邪義坊主等の出鱈目とウソを粉砕し、鉄槌を加えることにする。

云く「日蓮宗では御法主上人指揮の下、汝を含む様々な異流儀教団を折伏しているが、その中でも総本山塔中理境坊の講中である妙観講では積極的に顕正会への折伏を展開し、顕正会では脱会者が相次いでいたのである。折伏活動が積極的に展開される中、法華講員に屈服されてもなお汝を妄信する哀れな顕正会員は、浅井会長なら顕正会の正義を証明してくれると考え、「浅井先生をお連れするから、大草講頭と浅井先生で、ぜひ、法論をしていただきたい」と、汝と日蓮正宗法華講大講頭で妙観講講頭の大草一男氏との法論対決を申し出たのである。

大草氏は即刻喜んで受けて立つ旨を顕正会員に伝えたが、汝は今までの経緯から勝ち目がないと考えたのであろう、さりとて会員の手前逃げるわけにもいかない。そこで汝は宗門が応じるはずのない無理難題を御法主上人につきつけて”対決”なるものを要求し、結果的に大草氏との法論対決の回避を狙ったのである。つまり、”完全に逃げた”のは汝なのである。まさに汝こそ”対決など為し得るはずもない”卑怯者ではないか。

しかるに汝は己の下司なることを弁えず、言いたい放題に御法主上人を誹謗する。その汝の悪口雑言は、そのまま”御本仏大聖人の御心に背”き奉る舌爛口中の大罪である。”大聖人の御裁断を仰”ぐべきは御法主上人ではない。三宝破壊の仏敵、汝、浅井昭衛であると告げておく」というもの。

先ず、邪義坊主らが上記に記した浅井氏と遊蕩坊主の対決の経緯は、口から出任せのウソで塗り固められた言訳である。浅井氏が、遊蕩坊主に二度にわたり対決申し入れ書を送付したことと、妙観講の大草一男との法論は、全然別々の問題なのである。

妙観講大草一男との法論について浅井氏は、法論を成立させる為に「約定書」の作成を提案していたのである。その時の約定の内容として、①お互いの組織の存亡を掛けて法論を敢行する。②顕正会が負けた場合は宗教法人顕正会は即座に解散する。③妙観講が法論に負けた場合は組織を解散して、大草一男は顕正会に入会する。という条件を付したのである。ところが、妙観講の大草一男は、この法論に勝ち目の無いことを悟ったのか、「宗門から講の存亡を掛けた法論は許可が出ない」等と、妙な屁理屈をつけて法論そのものの成立を拒んできたのが真相である。

邪義坊主等が主張するよに、妙観講員が顕正会員を折伏する中で、顕正会の脱会者が多く出る中「浅井会長なら顕正会の正義を証明してくれると考え、「浅井先生をお連れするから、大草講頭と浅井先生で、ぜひ、法論をしていただきたい」との申し出に、大草一男は喜んでその法論を承諾したが、顕正会の浅井氏は、この法論に到底勝ち目がないと踏んだ上で、遊蕩坊主が浅井氏との法論を受ける筈がない事を十分承知の上で「対決申し入れ書」を二度にわたり送付してきた。などと嘘八百を並べ立てているが、そのような事実と相違する言い訳に騙されてはならない。

浅井氏が、遊蕩坊主の阿部日顕の三大謗法を糾問する為に、対決申し入れ書を提出したのは、紛れもない事実で、平成17年3月25日及び同年4月27日の二回である。ところが、遊蕩坊主は逃げに逃げ、後になって「最後に申すべき事を砕破する」の中で、邪義坊主等が寄って集ってウソと出鱈目を書き連ねている。これこそ卑怯というものだ。

顕正会は最初から対決の場所として、本山の客殿乃至は、横浜の国立国際会議場jを指定し、会場使用料の払い込みを済ませ、対決の「約定書」には、①顕正会が法論に負けた時は顕正会を解散する。②遊蕩坊主日顕が負けた時には猊座を退き謹慎する。③商売の為の御開扉は即刻取りめる。という約定書を作成して法論に望むべく、顕正会は法論の準備を怠りなく進めていたのである。

宗門や遊蕩坊主の阿部日顕からすれば、日頃から顕正会憎しの怨念を懐き続けて来た今日までの経緯を考えれば、顕正会を潰すには、又と無い千歳一遇の絶好のチャンスだったのである。亦、顕正会側からすれば、宗教法人冨士大石寺顕正会の存亡を掛けた真剣勝負を申し入れているのである。そのような法論の背景を冷静に見つめれば、邪義坊主が吹聴するような「大草にしてやられるから、遊蕩坊主を相手に選んだ」などというお門違いの出鱈目なこじつけは大嘘だということが歴然としているではないか。

法論の実現に備えて、平成17年6月8日、あるいは同27日の何れかという事で、遊蕩坊主の都合によっては、遊蕩坊主と同等の資格と責任のある代理人(僧俗を問わない)を立てることも許可したのであるが、遊蕩坊主からは何等の返答もなく、完全に逃げてしまったのである。

その後、例の邪義坊主らが、しゃしゃり出てきて云く「かかる貴殿の非道極まる”申し入れ”などに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受けあそばされることなど、絶対に有り得る筈のない道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けされることには絶対に反対申し上げる。さらにまた本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な、”もうし入れ”を御法主上人に代わって責任をもって受けることなど出来よう筈もない」などどの言訳を見れば、遊蕩坊主は、僧俗の代理人を立てる事すら出来なくて、ひたすら逃げ回ったことが第三者の目から見ても良く理解でようというものだ。

大体考えてみるが良い。妙観講の大草一男なる男にしても、彼の風体は、見れば病み上がりの青白い如是相を晒しながら、まるで元気がない。大聖人は相・性・体の「三如是の中にも相如是第一の大事なり」と仰せである。大草は大聖人の一期の御遺命を歪曲した現今の宗門に席を置いて、邪義坊主に諂い従属している身であれば、遊蕩坊主の阿部日顕や、邪義坊主らの展開する論理よりは格が劣るのは止むを得ない。こんな貧相な男は、最初から浅井氏のカウンターパートナーでは有り得なかったのである。

いずれにしても大草一男が、御本仏大聖人の三大秘法義に違背した論理を展開することは最初から知れている話ではないか、そんなお粗末な大謗法の大草や遊蕩坊主の日顕に、浅井氏が「勝ち目がない」などと、逃げ回った挙句、後になって「驕慢の凡夫」「謗法の一在家」「日蓮正宗の猿マネ集団」等と、今になって減らず口を叩いて、小山の大将になっているのはまことに卑劣この上ない話である。

大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇を捨てた邪義坊主らは、国立戒壇に安置し奉る戒壇の大御本尊を営利の具として、己が食うために御開扉を商売にしている堕落坊主であれば、浅井氏が法論の約定書の中で、「商売の為の御開扉は中止せよ」と叫んだことは、現今の坊主等には到底耐えられない約定だったに違いない。

松野抄には「受けがたき人身を得て適(たまたま)出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして、徒(いたずら)に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を着たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども、法師となる義は一もなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり。.恥ずべし恐るべし」と仰せであるが、此の御文は、まさしく、広宣流布の前夜の堕落坊主を厳しく誡められた御言葉なのである。

近い将来、宗門に大聖人の御遺命たる国立戒壇堅持を宗是として蘇えらせる、英邁な貫首がお出ましの時には、現在のような御開扉を商売の道具にするような御登山は一掃されるのは明らかであり、その時、正系門家の化法・化儀は純然となり、御開山日興上人・日目上人の時代を彷彿とさせる。裏も表もない、まことに清らかな信心が僧俗の命に再び蘇るのである。そのような時代には、御開扉を商売にするような、醜い打算は一掃され、信徒の真心からの御供養は、おのずからいや増すのである。

余計なお節介かも知れないが、この年末には、立正安国論正義顕揚七百五十年と銘打った、募財が再び開始されるのだという。怨嗟の声が湧き上がるのも何のその。邪義坊主らの欲望充足のためだ。法華講の諸君、またまた毟り取られて気の毒だが精々頑張りたまえ。




 

最後に申すべき事を砕破するを書いた独善と日顕の三大謗法を叱る

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月12日(水)10時38分44秒
返信・引用
  「最後に申すべき事を砕破する」(P.5)に、邪義破折班の坊主の云く「対決の責務として、顕正会解散と、御開扉中止・御法主上人御退座とを同列に並べて要求するという馬鹿げたものであった。一謗法団体に過ぎぬ顕正会ごときと、御本仏大聖人以来の血脈法水を継承遊ばされる尊厳なる御法主上人のお立場、及び一閻浮堤の一切衆生を御戒壇様に御目通りせしめ、謗法罪障を消滅せしめるという、衆生化導の大事たる御開扉とを同列に並べて、これを勝負の材料にするとは、汝は何たる痴れ者か」等と、今頃になって邪義坊主らが、犬の遠吠えのように喚いているのである。

考えて見るが良い。遊蕩坊主の阿部日顕は、正系門家に突如現われた三大謗法を犯した稀代の悪比丘と言われている魔僧である。此処で日顕の犯した三大謗法について、簡単に説明を加えることにしよう。遊蕩坊主日顕は、①戒壇の大御本尊はニセ物と断定した。②唯授一人の血脈を否定壟断した。③御本仏大聖人の終窮究竟の本願たる国立戒壇を否定し、大聖人に叛逆の弓を引いている。

①については、昭和53年2月7日、東京の帝国ホテルの一室で腹心の川辺慈篤房と密談の際、戒壇の大御本尊はニセ物と断定した揚句、先代日達管長の悪口を川辺に散々言いふらしているのである。これを聞いた川辺は、腰を抜かさんばかりに驚き、この時の日顕の発言の始終を詳細なメモに残している。これが後の川辺メモと言われるものだ。②については、昭和54年7月22日、先代の悪坊主、日達管長が年来の謗法が災いして、本山近くのフジヤマ病院に入院中の7月22日の未明、激烈な発作に襲われ臨終思うようにならず急逝した。それを奇貨として自己申告の形で、アレヨ、アレヨという間もない迅速な動きの中で、猊座を簒奪し法主の座を占有した。③については、今更いうまでもなく、国立戒壇を否定して、未だに自らの間違った邪執を改めようとはしていない。

こうして見てくると、邪義坊主等が云うような、遊蕩坊主の日顕が「御本仏大聖人以来の血脈法水を継承遊ばされる尊厳なる御法主上人のお立場」などと云うに至っては、云うも愚か、余りにも懸隔の相違があると云うよりは、どだい御相承の大事を無視した邪智者が尊厳なる猊座を強奪したことが歴然としているではないか。

遊蕩坊主の日顕は、先代が黄泉の国へ旅立った朝、先代の娘婿の菅野慈雲に「後のことは何か聞いているか?」と質問を発しているのである。慈雲の云く「後は総監さんではないですか」と返答したところ、遊蕩坊主の日顕の云く「あっ、そうそぅ・・・・」等と、真に、不可解な言葉を発して、狼狽しながら慌てた素振りをしているのである。

後に、その事が多くの僧侶から不審がられると、日顕の云く「実は、昭和53年4月15日に、本山大奥で日達上人から相承の授受を受けていた」等と、取って付けたような発言を繰り返すも、その疑いは、一山を二分する法廷闘争で決着を付けるというような大騒動に発展。正系門家七百年の歴史の中で、未だ聞いた事もない破廉恥な不祥事の勃発である。

悪坊主日達は、遊蕩坊主日顕が日頃から宗門の内部情報を陰に隠れて学会に垂れ流し、スパイ行為に及んでいることに不信感を募らせ、それからというもの、遊蕩坊主を意図的に退けていたのである。その腹癒せに日顕は、川辺に日達管長の悪口を言い、あろう事か、戒壇の大御本尊はニセ物などと八つ当たりをしているのである。

ところで、昭和53年6月29日には、本山で開催された全国指導教師指導会が行われているのである。この指導会が開催された目的は、学会と手と手を切るか、それとも現状を維持しながら今まで通りやって行くか、という今後の宗門の有り方を討議する極めて重大な会議だったのである。その席上、悪坊主日達は、檀徒運動を公然と支持する発言をしているのである。この重大な会議の終了後には、遊蕩坊主の日顕は、その時の日達の発言内容を逐一学会に通報していたのである。その事実を耳にした日達は、怒り心頭に発し「こちらから内容を通報するなんて、阿部はとんでもない。学会べったりでどうしょうもない奴だ」などと、声を荒げていたというのである。

これは、遊蕩坊主の日顕が相承の授受を受けたと自己申告した、僅か2ヵ月後の事である。先代の日達が、次期法主に対して「学会べったりでどうしょうもない奴」などと、公然と非難した事実を考えれば、日顕の言う相承の有無を自己申告の形で押し通した行動が疑われるのも当然の帰結ではないか。

遊蕩坊主の日顕は、相承の授受に疑い持った若手僧侶の頸を次々と刎ねて擯籍処分に付したのである。それが今日の正信会に集う二百余名の坊さんなのだ。これを国立戒壇の御遺命に背いた仏罰といわずして何と表現すべきか。決して功徳とは言わないのは当然である。



 

遊蕩坊主の阿部日顕らと池田センセーとの死闘の原因

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月10日(月)13時33分45秒
返信・引用
  遊蕩坊主の阿部日顕は、あの池田大作センセーと大喧嘩を始めるや、センセー憎しのあまり、平成6年11月5日に、悪徳弁護士山崎正友の仲介で、有ろう事か邪僧の身延山の高僧を数度に亘って本山に招き入れ、蓮葉庵で昼間から酒でもてなし、今後、身延山が学会の強力な批判勢力になって貰うべく、誼の酒盛りを繰り返していたのであります。その体たらくを、顕正会の浅井氏が”謗法与同”と、遊蕩坊主等の堕落ぶりを攻めたのでした。

そうしたところ、それに対する反論として「最後に申すべき事を砕破する」(P.4~5)に、邪義破折班の坊主等が、天道虫の様にしゃしゃり出て来て、次の如く言い訳をしているので紹介することにします。

云く「汝は日顕上人が、身延の謗法僧を大石寺に招いたかのごとく欺瞞する。すなわち他宗他門の者に大石寺見学を許可するのは、古来のあり方でであり、一切衆生救済を目的とする本宗の宗是に則ったものであることは自明である。道理に外れた下らぬ悪言を恥よ。かかる”たばかり”を論拠として、日顕上人に”対決申し入れ書”なるものを二度にわたり送付した」等というもの。

しかしながら、邪義坊主らのこの種の言い訳は、的外れだと思うし牽強付会だと思われるのである。ここで「古来のあり方」だの「一切衆生救済を目的」などと、恰も己を救世主のごとく大上段に振りかぶる尊大ぶった言い方はナンセンスであり、一切通用しない。それというのは、このような理由を付けて本山内を見学させるのは、俗に云う、一般人を指して云う台詞なら、ある程度は筋が通る場合もあるかも知れない。また「”たばかり”を論拠として”対決申し入れ書”なるものを二個にわたり送付した」等とあるが、邪義坊主らは、身延僧を本山に招いた事と、対決申し入れ書を送付した事実を”たばかり”などと、決めつけているのであるが、邪義坊主らはこの機に及んで寄って集ってウソ八百を並べ立てているのである。

”たばかり”とは、本来の意味は、騙す、謀略、計略、という意味であって、遊蕩坊主日顕が邪宗の身延僧を本山に招聘したことは事実だし、浅井氏が二度にわたり対決申し入れ書を提出したことは、計略や謀略なんかではないのは自明ではないか。この度の身延僧達の本山招聘は、一般人どころか、身延山久遠寺の志摩坊住職であり、山梨県布教師会会長である佐藤順英をはじめ、都合、8人の身延派の布教師が招かれているのである。彼らは順縁どころか、逆縁の邪僧であり、仮に、本山を見学させたところで性根が改まるような上品な人種ではないのである。

世間には「毒を喰らわば皿までも」という諺があるようだが、遊蕩坊主の阿部日顕は、池田センセーと大喧嘩を開始する前までは、センセーに諂いに諂いを重ね、昭和65年(平成2年)の10月には、未だ広宣流布の兆しも見えない内から、池田センセーを喜ばせるために、本山の寺号を「本門寺」と改称し、寺号公称の陰謀を企てたうえ、御本仏大聖人に対する反逆を試みていたのである。

遊蕩坊主日顕の云く「吾々正宗の僧俗は、本仏大聖人の御遺命たる一期弘法抄の「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の金文が、七百年後の今日、現実にどのような形で実現されるのであるかを待ち望んでおりました。・・・・・このたびの大指針(悪坊主日達の昭和49年11月17日の説法)こそ、あらゆる点から考えて、世界広布の一大基盤としての日本広布に関する、本仏大聖人の大慈悲に尤も適合し奉るものと拝するものであります。(中略)国中の三分の一に満ちたとき、他の宗教や政治に対する圧力は微塵もなく、・・・・・常楽を奏でる幸福な社会が顕れることを確信いたします。また全信徒の指導者たる法華講講頭・池田大作先生も至極お元気で、猊下と宗門を常にお守り下さっておられます。この僧俗一致の姿こそ大本門寺建立につながる広布の基盤であります。吾々は、法主上人の鳳詔を更に深く心に体し、本門寺実現の大目標をめざし、邁進致そうではありませんか」(大日蓮 50年1月号)と。

因みに、悪坊主日達の説法とは、「日本の民衆の三分の一が純真かつ確実な信心を持った時は広宣流布であり、またその時、僧俗の関係者首脳の協議の上で本門寺と改称することもありうる」という、御本仏大聖人に背反する驚くべき、インチキ広宣流布の見本と云われる邪説を展開したもの。

要するに遊蕩坊主日顕は、悪坊主日達が発した先の説法と、ニセ戒壇たる正本堂に戒壇の御本尊が据え奉ってある事に目を付け、「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」(百六箇抄)に仰せの御金言を悪用することを思いつき、池田センセーの冥利心に諂い、大石寺開創七百年の慶讃法要、池田センセー会長就任30周年のお祝いに合わせて、昭和65年10月12日を本門寺改称の日として心に誓い、世界の多くの著名人の見守る中で、今までの大石寺を、日蓮正宗本門寺と改称する、寺号公称を全世界に向かって公式に宣言する日と決めて、池田センセーを最大限喜ばせようとしていたのである。

そうすれば正本堂は、自動的に「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」の御金言に符号する戒壇堂になり、人口の三分の一で広宣流布達成の宣言も高らかに謳い上げる事できると、センセーと二人で、ニセの広宣流布宣言をすることも企図していたのである。

ところが、昭和65年(平成2年)の4月になって、顕正会の浅井氏は、横浜アリーナで二万人の大総会を開催し、遊蕩坊主日顕等の、「本門寺改称は絶対に許さない。かかる出鱈目を強行するなら、顕正会は、男子20万の精鋭が総登山を決行して総本山を埋め尽くし、本門寺改称の陰謀を身を以って粉砕する」との決議をしたのである。それに驚いた池田センセーと遊蕩坊主の阿部日顕は肝を冷やし、本山での大文化祭の開催と、世界の著名人の招請を中止し、その日は、単なる歌と踊りの意味のない集会となってしまいました。一方の遊蕩坊主の日顕は、池田センセーの見守る前で「本門寺の寺号公称は、事の戒法の本義更に未来に於いて一天四海に光被せらるべき妙法広布の力作因縁に依るべし」などと、まことに解りにくい、遊蕩坊主独特の言い回しで、池田センセーの一世一代の晴れがましい、お祝いの舞台をおちょくり、舞い上がっていたセンセーの梯子を外したのでありまする。

さあ~、此処からが大変です。あの池田センセーと、遊蕩坊主の日顕らとの間で食うか食われるかの、修羅と悪竜の合戦を思わせるような、世間を賑わす長い死闘がはじまったあのでありまする。

怒り心頭に発した池田センセーは、早速4日後の10月17日、学会の中央会議の席で「広宣流布は魔との戦いだ。最大の魔はあの爺さんだ。あの魔を粉砕することが広布なんだ。権威ばかり振りかざして、もうどうしようもないよ。あの爺さんは権威と金取り主義だけだ。」などと、遊蕩坊主の本音を突き、国立戒壇の御遺命をかなぐり捨てて、民衆立の正本堂と歪曲した正系門家の坊主等の卑しい実態と、袈裟の権威に包まれた、貪欲と薄汚れた出家坊主らの生身を暴いて見せてくれたのでありまする。


 

国立戒壇の目的を放擲した坊主等の打算と醜い取引

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年10月 5日(水)17時15分0秒
返信・引用
  「最後に申すべき事を砕破する」(P.4)に、例の邪義破折班の坊主の云く『昭和53年2月7日付けの通称「川辺メモ」については、メモを記した本人の川辺慈篤師自ら、メモは誤解を与えるような内容であるが、あくまでも本人だけが見て分ればよい個人的な書き付であり、その真意は創価学会が誹謗するような、御法主上人が戒壇の御本尊を”偽物”と断じたものなどではないことを明確に証言している。また御法主日顕上人も、当然そのような発言を否定しておられる。当事者の二人がそのように述べられているのである。第三者が口を差し挟むことではない』などと。

然しながら、これは重大な事柄である。事は戒壇の大御本尊に関する重大事である。仮初にも、他門流の邪教の坊主等が戒壇の大御本尊を「偽物」と吹聴した話なら、邪義破折班の坊主等の展開する屁理屈で事は済むかも知れない。今度の川辺メモ騒動はそんな生易しい問題ではないのである。戒壇の大御本尊を偽物呼ばわりした遊蕩坊主と、メモを残した川辺慈篤房の二人が共謀して「川辺メモ」の内容を否定しているのであるが、これは全くの出来レースというものだろう。

悪い事は出来ないもので、遊蕩坊主阿部日顕は川辺慈篤に対して、鑑定の結果、日禅授与の御本尊と戒壇の御本尊の筆跡が「似ている」とか「似ていない」とか、細部にわたって説明を加えた挙句「種々の鑑定の結果偽物である事が解った」と云っているのでいる。一体、誰人が戒壇の御本尊の筆跡を鑑定したのか? 遊蕩坊主日顕以外には居ないではないか。その当時の阿部日顕は、宗門の教学部長として権勢を振るい、日達に隠れて宗門の内部事情を逐一学会に通報し、学会の走狗のごとく諂いが高じて身も心も蕩かされ、池田大作に対する点数稼ぎに余念がなかったのであるが、そのようなスパイ行為が日達の知るところとなり、問題が発覚してからは、日達から疎んじられ、この時期、学会に対する反論の口実を狙っていた日達から、まるで疎外されていたのである。

それに業を煮やした遊蕩坊主の日顕は、日頃の鬱憤を晴らすべく、戒壇の大御本尊に対してまで八つ当たりをしたのである。それが「戒壇の御本尊は偽物」発言となっているのである。

後日、川辺の書いたメモが明るみに出て白日に晒された平成11年7月7日、周章狼狽し驚愕した遊蕩坊主は、逃げられないと観念したのか、即座に宗務院から院達を出して川辺メモの存在と、川辺との密談を認めているのである。その時の言い訳が振るっている。云く「当時は外部からの戒壇の大御本尊に対する疑難があり、それを川辺に説明した」などと言っているが、是れは嘘八百である。それを云うなら外部の何れの者、何れの団体が戒壇の大御本尊に対して疑難を発していたのかを明らかにしなくてはならないのである。

ところが、この矛盾に気が付いた彼らは、翌日の10日になって、「宗内に於いても盲説が生じる可能性が存在した」などと、昨日の外部からの疑難を、「内部の盲説」に言い換えてその場を取り繕うと必死の悪あがきをして、ウソを嘘で塗り固めようとしていたのである。

この直後、川辺は第二弾目のメモを学会側に寝返りを打った坊主を通じて、再びメモを世間に垂れ流しているのである。「メモの件、①当局の云う通りやるか。②還俗を決意して思い通りでるか。③相談後の結論とするか等々」メモの内容には一部不明な部分はあるものの、川辺は、今後の自らの身の振り方をシュミレーションしているのである。この二つ目のメモの存在に気付いた遊蕩坊主の日顕は、川辺にしてやられた事に気づくのであったが、後の祭りであlった。

不思議なことに、この後早々に川辺慈篤は、北海道の日正寺の住職から大栄典を遂げ、東京新宿の大寺院・大願寺の住職に納まっているのである。狡猾な川辺慈篤も油断も隙もならない悪坊主で、己の書いたメモをネタに遊蕩坊主を脅し、狡賢く立ち回り営利を目的とした悪辣な取引を成功させて、このようにして法外な収穫を手にしていたのであるが、川辺は遊蕩坊主からすれば、未だ罪業は軽い故か、間もなくして黄泉の国へ旅立っているのである。

いずれにしても、遊蕩坊主の阿部日顕といい、川辺慈篤といい、正系門家に現われた稀代の悪比丘であり、二人とも僧侶としては如是相が悪すぎる。大聖人の仰せに云く「十如是の中にも相如是第一の大事なり云々」と。



 

「最後に申すべき事を砕破す」の欺瞞を衝く

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 9月24日(土)10時24分43秒
返信・引用 編集済
  かつて遊蕩坊主の阿部日顕は、創価学会が建てた正本堂の意義を正当化するために、「国立戒壇の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」なる二冊の悪書を執筆し、御本仏大聖人の終窮究竟の本願たる国立戒壇を否定し、一期の御遺命を破壊したのである。僅か八百万人足らずの学会員の中の限られた者達で建てた、正本堂が大聖人の御遺命の戒壇である等と大宣伝を繰り返し、内には八百万の無知の正宗信徒を騙し、外には国際社会を欺いて、あの池田大作先生様を狂喜せしめたのでありまする。

池田先生様の云く、「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(高瀬広居・人間革命をめざす池田大作の思想と生き方)等と。

遊蕩坊主の阿部日顕の云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総口頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕さんとしている」(昭和42年10月号 大日蓮)と、此の頃の遊蕩坊主の安部日顕は、ニセ戒壇正本堂の建設を諸手を挙げて賛嘆し、御本仏大聖人の仰せに背いた挙句、池田大作先生をして仏法守護の頭領などと持ち上げ、諂いに諂いを重ねてゴマ擂り三昧に余念が無かったのでありまする。

遊蕩坊主の顕わした二冊の悪書の中では、「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」の文々句々を、無慚にも馬鹿げた内容に改変し、御本仏大聖人の顕わされた、末法万年尽未来歳の長き闇を照らす下種仏法の命とも云うべき、三大秘法の「本門の戒壇=国立戒壇」を、現行憲法の左翼思想に貫かれた国民主権主義なる規定下に従属せしめて、「国主立戒壇」などと云う、前代未聞の珍語を振り回して、「これが三大秘法抄や一期弘法付嘱書で仰せられた大聖人仰せの真意である」等と邪義を構えるようになったのである。こうして、あの池田大作先生様の邪心に同心して「本門の戒壇=国立戒壇」を「民衆立の正本堂が正しい」などと言って、唯一の御遺命を破壊し尽くしてしまったのでありまする。

遊蕩坊主が強調した邪義の一例を挙げれば「戒壇」とは、『現在は主権在民だから「国主立戒壇」が正しいのであり、「国立戒壇」は誤りである』等と。

次に「国主」とは、時の天皇陛下ではなく、「現行憲法で謳われているように、現在は主権在民の上から民衆一人ひとりを国主と見るべきである」等と、幼稚にして前代未聞の愚論を展開しているのである。云く、『一期弘法抄の「国主」とは、日達上人の御指南にもある如く、憲法が定める主権在民の上から、国主は民衆一人一人と見るべきである』(日蓮正宗要義)と。バカを言ってはいけません。大聖人は「国主は但一人なり、二人となれば国土穏やかならず、家に二の主あれば其の家必ずやぶる」(報恩抄)と仰せである。血脈相承を受けたと言って嘘をつき、猊座を簒奪した遊蕩坊主なれば、この程度の仏法違背はむべなるかなと思われるのでありまする。

遊蕩坊主の吹聴するように、国民が国主たる道理がある筈も無いのは当たり前ではないか。戦勝国のアメリカから押し付けられた、左翼思想で塗り固められた現行憲法の規定でも、日本国には国家を代表する君主たる天皇が存在し、中央政府も厳然とあるではないか。これ等の存在を無視して漠然たる「国民が国主」等と、為にする言辞は詭弁という以外にはないのである。阿部日顕という遊蕩坊主は、根っ子の処で左翼思想に犯されている証拠である。二言目には国立戒壇を否定し、御本仏大聖人に背き続けているのでありまする。

続けて遊蕩坊主の憲法従属の姿勢の一例を示す。「現今は、我が国の憲法において、主権在民と定められている以上、本門の戒壇が民衆の力によって建立されておっても、少しも不思議ではないのであります。敢えて、天皇の意思による国立が無ければならない理由はないのであります」一期弘法抄の「国主此の法を立てらるれば」とは、現今においては、多くの民衆が、この大聖人の仏法を信受し、信行することであり、そして本門寺の戒壇を建立することを御命じになったと解釈して差支えないのであります」(大日蓮 昭和49年11月号)と。

また遊蕩坊主の云く、「有徳王」とは、「創価学会の池田先生であります」とし、「覚徳比丘」とは、六十六代の日達上人であらせられる」などと、今まで聞いた事もない新説邪義を展開しているのである。つづけて「勅宣並びに御教書」とは、「それは、信教の自由の制度化における建立の手続きを現代に約せば「建築許可証と解釈するのが正しい」(本門事の戒壇の本義)などと言うに至っては救い難い脱線ぶりでありまする。

更に『御書には、「時を待つべきのみ」とあるが、正本堂の建立について、「もしいまだ建物建立の時も至らずと考え、三大秘法抄の前提条件も整わないとして、前以って戒壇を建てるのは「時を待つべきのみ」の御制誡に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない』(国立戒壇の誤りについて)等と、浅井昭衛氏の必死の諌めに幼稚な愚論で反駁していたのであるが、池田先生との間で大喧嘩が始まるや、瞬間湯沸かし器が沸騰する如く、是れ亦信徒の浄財を使って、頭から湯気を立てて御遺命の戒壇たる正本堂を早々とぶち壊してしもうたのでありまする。

それで時が経ち正本堂が崩壊した今日に至ると、「最後に申すべき事を砕破す」の(P.3)には、邪義破折班が遊蕩坊主をヨイショして云く、「広宣流布の暁の国主立戒壇の建立であることは「一期弘法抄」「三大秘法抄」の聖文に明々白々ではないか。ただし日顕上人は両書中の正本堂の意義付けに関する部分について、これを当時の広宣流布進展を慰撫教導された御指南に基づく内容ではあったが、今日からみれば生き過ぎがあったと虚心坦懐に訂正あそばされたのである。それも創価学会の謗法化により、その広布進展の事相が消滅した今日においては、論ずること事態が不毛である」などと、開き直りとも思えるような傲慢な言辞を弄しているが、そのような不遜な反省の真似事で事が許されるなら、地獄に堕するものは一人もいなくなるのでありまする。

ニセ戒壇正本堂が崩壊した今になって戒壇堂が無くなったから、それを論ずることは不毛の論として片付くものなら、結婚式を取りやめ、生命保険を解約し、大切な貴金属を質屋に入れ、あるいは家財道具を売り払って血の滲むような正本堂の御供養に励んだ多くの学会員や正宗信徒は永遠に浮かばれないではないか! このような凄まじいばかりの御供養の精神は、今の出家坊主らには絶対に理解の及ばない事柄だったのである。御遺命を曲げた現今の出家坊主らには、このような信徒の真心は絶対に通じないほど堕落しているのでありまする。

遊蕩坊主の日顕のように、傲慢にして取り返しの付かない大謗法を犯しながら「少々行き過ぎがあった」などと言って事が済むなら、法然の「捨・閉・閣・抛」、亦は善導の「千中無一」や、慈覚・智証の「理同事勝」、或いは、弘法の「第三戯論」等も謗法とはならず、単なる行き過ぎで済ますことが出来るではないか。早い話、遊蕩坊主等には、破邪・立正・安国と三大秘法を宣揚する、広宣流布への道念の欠片も無いから、因果応報を恐れる心も無くなってしまったものと思われるのでありまする。



 

顕正会の「最後に申すべき事」の送付に至る経緯について

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 9月 6日(火)11時54分57秒
返信・引用 編集済
  顕正会の浅井昭衛氏は、台湾でも遊蕩坊主で名高い阿部日顕の目に余る三大謗法を糾すべく、平成17年3月25日付けで「対決申し入れ書」を阿部管長本人宛に送付した。ところがこの遊蕩坊主は、顕正会の浅井氏がよほど怖いと見えて、逃げに逃げ、遂には総本山の若手坊主を集めて「邪義破折班」なる者を結成したは良いが、この「邪義破折班」なるインチキ坊主らも、決して面に出て来ないばかりか、この「対決申し入れ書」に異論を挟み、影に隠れて顕正会に向かって、野卑な言動を繰り返しながら誹謗中傷を加え逃げ回っているのである。

そこで顕正会の浅井昭衛氏は、平成17年4月27日付けで二回目の「対決申し入れ書」を阿部日顕に送付、その際、対決の場所として顕正会は、大石寺客殿、亦は、国立横浜国際会議場と定めて国際会議場側と交渉し、期日を同年6月8日、同27日の何れかと決めて契約し、会場使用料の支払を済ませたのである。ところが、阿部日顕は雲隠れを決め込んで、「邪義破折班」なる邪義坊主らの反対意見を書き連ねて、結局、二回目の「対決申し入れ書」も反故にして逃げてしまったのである。

顕正会は、遊蕩坊主阿部日顕との対決に当たり、両者の勝敗を決する明確な取り決めを定めた「約定書」を作成し、これを広く公表していたのである。即ち、①場所、大石寺客殿。②日時、対決の応諾有り次第双方の委員で教義して決める。③聴衆人員、双方各2500人とする。④勝負の判定、回答不能に陥った者を敗者とする。⑤勝負決定後の責務、顕正会の浅井昭衛が敗れた時は、①顕正会は速やかに宗教法人を解散する。次に、阿部日顕が敗れた時は、①阿部日顕は猊座を退き謹慎する。②戒壇の大御本尊利用の金儲けの為の御開扉を中止する。等とする内容であった。

尚、本件対決は浅井氏と阿部日顕の一対一で行うものとするが、万一阿部日顕が都合が付かない場合は、阿部日顕と同等の資格と責任を有する代人を立てることを認めたのである。然しながら、遊蕩坊主と邪義破折班の坊主等は、だんまりを決め込んで逃げに逃げ、二度目の「対決申し入れ書」を反故にするばかりか、顕正会が国立国際会議場に支払った、高額な会場使用料も無駄にさせられてしまったのである。

考えて見るが良い。日頃から顕正会憎しの阿部日顕並びに宗門からすれば、顕正会を解散させるには亦とない千歳一遇の絶好のチャンスだったのである。それをフイにするばかりか、影に隠れ時が過ぎた今になって「驕慢の凡夫」「謗法の一在家」或いは「日蓮正宗の猿まね集団」などと口を極め、果ては「大謗法の謀略」等と悪口中傷しているのである。

更に「かかる貴殿の非道極まる「対決申し入れ書」などに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受け遊ばされることなど、絶対に有り得る筈もない道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けされることには絶対に反対を申し上げる。さらにまた本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な申し入れ書を御法主上人に代わって責任をもって受けることなど出来よう筈もない」等と、代人を立てて対決する事すら逃避してしまった。

まさしくお笑いである。これでは広宣流布などできる筈もなければ、邪教の一つでも退治は出来ないのである。御本仏大聖人はいうに及ばず、上代の上人方がこのブザマな現今の宗門の堕落した姿を御覧遊ばされた時、何んと悲しまれることだろうか、察するに余りあるのである。大聖人は「諸教は無得道堕地獄の根源、権教権門の輩を一人も無く攻め落とせ」と仰せであるが、現今の宗門は、無気力な職業坊主の巣窟と成り果ててしまったのである。

事の序でに遊蕩坊主阿部日顕の犯した三大謗法の何たるかを説明することにする。①大聖人の終窮究竟の本願たる国立戒壇の御遺命を破壊した揚句、正本堂を大聖人の御遺命の戒壇と偽る。②平成53年2月7日、腹心の川辺慈篤房に向かって戒壇の大御本尊は贋物と発言。③平成6年11月5日、謗法の身延山久遠寺の志摩坊住職他、山梨県布教師会会長佐藤順英以下8人の謗法僧を本山に招き入れ、真昼間から蓮葉庵で酒宴を開いて歓待し、学会批判を依頼しているのである。御開山日興上人は、「謗法と同座すべからず与同罪を恐るべき事」と遺戒遊ばされているのであるが、遊蕩j等坊主の日顕らには此の誡めは馬耳東風如きものなのだ。




 

主権在民だから国主は国民であるという正系門家の坊主たち

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 8月15日(月)11時10分25秒
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  世界で唯一の正系門家たる日蓮正宗の第六十六代を継がれたあの有名な日達上人様は、「摧破異流義考」と銘打った顕正会破折本の一級品と云われる名著(P.50~51)に、次のよな御指南を垂れ給い、訝る正宗信徒の疑問を払拭すべく、甚深の教導を遊ばされたのであります。

云く、「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時こそ、日本一国は広宣流布した徒申し上げるべきことである」と御指南されました。

上記の御指南を理境坊の坊主が解説して云うには、遊蕩坊主の日顕の云う「今は主権在民だから国主は国民」という間違った教導に迎合して解説を加えて云く、「この御指南は、要するに、今日の日本国の主権者が、天皇でも幕府でもなく、国民であるという、主権在民の現実を鑑みられた上で、さらに、一国に正法が流布され渡り、実質的に、正法によって一国の動向が決せられるまでの状態(『全人口の三分の一以上の人達』)が、実現した時、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態(『純真な、しかも確実な信心』)を作り上げた、まさにその時を、広宣流布時とお示しなったのである」等と只道坊主が未熟な解説を加えている。

此の名著の執筆に当たった坊主らは、上記の如く、憲法におもねて主権在民を強調し、国の主権者が、天皇でも幕府でもなく、国民=国主であるという、まことに幼稚この上ない解説を加えてはいるが、このバカ坊主は恥ずかしい事に、「主権在民」或いは「国民主権主義」という用語の意味を理解できないまま、国主=国民として捉え、これ等の用語を得意になって連発しているのであるが、国民一人ひとりが国主なら、いま、日本国には約一億二千五百万人の国主が存在する事になるのである。

拙者が此処で主権在民すなわち国民主権主義についての意味を説明するなら、「国民主権主義」とは、国家意思を構成する源泉は、国民に発することを云うのであるが、何も、国民一人ひとりに国家の存亡を左右する主権が存しているのではなく、国民の意思を束ねる形で「議会」が存在するのである。

然るところ、国家・国民を代表して国家意思を表明するのは、民主政体の今日に於いても、天皇及び国家機関にあることは論を俟たない。したがって、坊主らのいうような、わずか人口の1/3の国主の入信で、「末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態」を維持するには、2/3の国主が未入信であれば、正法を断絶させぬ状態とはならないのは自明であるから、此れを広宣流布とは謂わないのである。




 

日達上人様は「舎衛の三億」と云う珍語で広宣流布の定義を捻じ曲げられました

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 8月 9日(火)12時27分5秒
返信・引用 編集済
  摧破異流儀考」と銘打った宗門から発刊された冊子には、「戒壇建立の次期について」と題して、次のような邪義を展開しているので紹介することにしよう。

いずれにしても、此のような邪義は尋常な事ではない。日蓮大聖人の唯一の嫡流たる正系門家が、最大の信徒団体であった創価学会の圧力と身に余る奢侈によって、時の法主が籠絡され、本門戒壇=国立戒壇を放擲し、広宣流布の定義までも下記の如く捻じ曲げてしまったのである。

「摧破異流儀考」の(P.50)に云く、「大本門寺戒壇が事相の上に顕現するのは、既に明らかとなっており、広宣流布達成の暁である。しからば、それは何時、どのような状況となった時を指すのであろうか。日蓮大聖人は、これを、『三大秘法抄』に、「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と仰せられ、また、『一期弘法抄』には、「国主此の法を立てらるれば」と仰せられている。

すなわち、仏法と一切世間の法とが深く冥合し、国の主権者および一般民衆の多くが三秘を受持し、しかも仏法を断絶しないだけの確固たる外護の体制が成った時」等と、いわゆる総人口の1/3の入信で、その時を広宣流布の時と出鱈目な定義をしているのであるが、此れは明らかに現行憲法の信教の自由の規定に迎合した卑屈なまでの邪義なのである。此れは、彼の五老僧が臆病心と法難から遁れたい一心で、天台沙門と名乗った諂いとは雲泥の開きのある僻事である。

坊主等の並べた三大秘法の御文は完全な「切り文」であり、「三大秘法抄」や「一期弘法抄」の文々句々を現行憲法の規定に従属せしめた、体制順応の卑屈なまでの卑しい根性丸出しの逃げの解釈なのだ。この御文の次に御示しの「勅宣並びに御教書を申し下して」の文を「切り文」にして、インチキ広宣流布を論じているのである。今や謗法の権化と化した宗門は、都合の悪い処の文は「切り文」して白を切り、本門寺戒壇建立と、広宣流布の定義を卑屈な邪義で覆い隠して盲信徒を煙に巻いて誤魔化した挙げ句、信徒を都合良くミスリードているのである。

宗門の坊主等は、「勅宣並びに御教書を申し下して云々」の大切な御文を「切り文」にして本門寺建立を説明し、広宣流布の定義を「舎衛の三億」という、馬鹿げた愚論にすり替えているのである。まったく恥知らずな説明で広宣流布を捩じ曲げて大聖人に背反しながら鱈腹仏飯を食んでいるのである。出家坊主等は、大聖人の御教示を世間的に抵抗の少ない文言のみを羅列して切り抜けようとしているのであるが、罰当たりとは此の事である。

此処で「勅宣並びに御教書」の意味について説明するなら、「勅宣」とは、時の天皇陛下の国立戒壇建立に係る詔勅をいうのでる。また、「御教書」とは、日本国が国家の意思としての三大秘法受持の意思表明を闡明にする事を指しているのである。すなわち現代で云うなら、三大秘法受持の国会の議決であり、内閣の決定をいうのである。

改めて説明をするまでもなく、広宣流布の暁の本門寺建立については、絶対に欠くべからざる必要手続きとして、「勅宣並びに御教書」は、仏国実現の鍵であり要諦であれば、決して避けては通れない関所なのである。それを僅か1/3の入信で広宣流布とは呆れたものだ。御本仏大聖人の教えの何処にそのような御教示があるというのか、これこそが大謗法であり、大聖人の一期の御遺命を破壊する大逆罪である。もし、このような邪説で大聖人の唯一の御遺命を蹂躙するなら、個人としても、国家としても取り返しのつかない災難を招き、終には亡国の災いを招く事になる。

諸法実相抄に云く、「あまつさえ、広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱えん事は大地を的とするなるべし」と、御教示である。また、如説修行抄には、「権教権門の輩を一人もなく攻め落として法王の家人となし、云々」とある。また、「諸教は無得道堕地獄の根源、妙法一人成仏の法なりと声も惜しまず呼ばわり給いて、人法共に折伏して御覧ぜよ、三類の強敵来たらんこと疑いなし」と仰せられている。

悪坊主が吹聴するように、何処に1/3の入信で広宣流布などという事が言えるのか! 広宣流布の定義を誤魔化すにも大概にしなければならない。仮に、1/3の入信で広宣流布なら、あの犯罪集団のようなオウム真理教や、世の中を惑わしているあらゆる淫し邪教と肩を並べて共存する事になるのである。三大秘法に反対する者達が2/3を占める世の中で、広宣流布とは呆れたものだ。まさしく、立正安国論の御意に背く大謗法である。そのような状況の中では仏国を実現する事は絶対に不可能なのである。

それでも坊主等は(同書 P.51)に言う。『「日本国の全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国は広宣流布したと申し上げるべきことである」と日達上人は御指南遊ばされた』などと。

救い難いとは是れである。現今の日蓮正宗はこのような邪義で覆われているのである。坊主も、信徒も成仏できない最大の理由が此処に存するのである。云く、「教の意に背く間悪道免れ難し」と。



 

訓諭なんて気楽なもんだョ

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 7月29日(金)13時16分28秒
返信・引用 編集済
  あの諂いの名手たる日達管長の「訓諭」なるものは、行き当たりバッタリの出鱈目で、兎角後になって批判の対象にされるものが多いのは夙に有名である。こんな体たらくで貫首が務まる坊主業とは気楽な家業と来たもんだ♪。

云く、「さきに法華講総口頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起こせる正本堂は此処に五年を経て、その壮大な勇姿を顕し、本年十月落成慶讃の大法要を迎えるに至る。日達、この時に当たって正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時に於ける事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥檀は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」(昭和47年4月28日の訓諭)という御遺命に違背した矛盾だらけの気違い染みたものだった。

そこで三大秘法抄を拝見すれば「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」とある。 即ち、王法とは国家の統治主権のことであるから、端的に云うと、一国の政治を王法と謂うのである。その王法が仏法と冥合し、仏法が王法に合した政治体制を王仏冥合の政治と謂うのである。

「次に「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」と仰せであるが、此処では王臣一同と表現された意味の中には「万民」が含まれているのは当然である。此処では広宣流布の暁の時を論じている処なので、万民という文言は省略されているのである。そして「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とは、本有の王である上は天皇陛下から臣は謂うに及ばず下万民に至るまで、戒壇の御本尊を守護するに於いては、国の命運を賭しても身命を惜しまぬ護法心と、国立戒壇建立の機運が日本の朝野に満ち溢れた時を云うのである。そのような時に至った時、「勅宣並びに御教書を申し下して」と仰せられる。即ち、時の天皇陛下から勅宣を奉戴し、国家意思の表明を以って国家的に、「本門戒壇=国立戒壇」を富士山天母原(天生原)に建てろ。と仰せられている。是れが国立戒壇の謂いなのである。

果たして正本堂は、そのような具体的な姿が顕れた時に建てた戒壇であったであろうか? 何一つとしてこれ等の条件が満たされてはいなかったではないか。是れを称して正本堂はニセ戒壇と云うのである。正本堂の何処に、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでいる実体が存在したのか? 此処に日達という邪義坊主の好い加減さが滲み出ているではないか。

大聖人から第二祖日興上人へ付嘱された一期弘法付嘱書には、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」と御教示である。日本の本有の国主であられる天皇陛下は、未だ入信すらしておられない。また、紫宸殿の御本尊も護持しておられないではないか。高だか八百万足らずの学会員と僅かな法華講員(旧信徒)のみで立てた正本堂が、どうして広宣流布の暁の「本門寺の戒壇」と言えるのか? この時期、学会員は800万人と云われていたが、正本堂の御供養に参加した人員は、100万人を割っていたかも知れないのである。当時の日本の人口は、約一億三千万人なのである。それを広宣流布達成などと坊主等は嘯いていたのである。

そこで宗門から発刊された「摧破異流儀考」(P.49)によると、日達管長の訓諭を解説して云く、「大石寺の正本堂には戒壇の大御本尊が御安置されており、大御本尊まします所は何時如何なる場所であっても、事の戒壇である」等と、国立戒壇を否定するための説明を加え、更に、「正本堂は、やがて広布の時至れば大本門寺本堂となることを期して建てられた大殿堂」として、百六箇抄の「三箇の秘法建立の地は富士山本門寺本堂なり」の御文を挙げて正本堂は広宣流布すれば自動的に「富士山本門寺本堂」になるという邪義を正当化しようと企んでいたのであるが、戒壇堂なる建物だけを先に建てろ、等という御金言が何処に存在するというのか?

日寛上人は広宣流布以前の戒壇の大御本尊の在所は、「義の戒壇」と定義されているのである。また、広宣流布以前に、前以って戒壇を建てることの不可なる事を、御本仏大聖人は一期弘法付嘱書と三大秘法抄に「時を待つべきのみ」と重ねて御誠誡為されているのである。正本堂は明らかな御遺命違背のニセ戒壇ではないか! 日達管長の後を継いだ遊蕩坊主日顕は、後の世に自らの邪義が露見する事を恐れて、ニセ戒壇たる正本堂を早々と解体せしめて超然と白を切り、その跡地に奉安堂なる堂宇を建てて、御開扉料稼ぎに狂奔しているのである。

坊主等は御遺命違背をどうしても認めたくないため、このように吹聴している。日達上人が「正本堂は現時に於ける事の戒壇とされたのであるが、平成三年に大謗法化した創価学会が本宗より破門となり、これに伴って広布達成の時も遠のいたことで、正本堂が近い将来に、本門寺本堂=広布の事相における戒壇となる可能性は失われた」などと、未練がましい言辞を弄しているのであるが、そんなに学会依存の体質から抜け出せないのなら、再び学会に頭を下げて帰って貰い、二人して大謗法を競っていれば良いだけの話だろうが大聖人は決してお許しにならない。坊主等は、何処までも正本堂を「事の戒壇」と言い続けたいのであろう。是れを罰当たりというのである。

現今の宗門の坊主等は、御遺命に違背しておきながら正本堂を賛嘆し、創価学会と醜い喧嘩の挙句には正本堂を解体して、後は野となれ山となれ式に平然としている。未だに何等の検証も反省もなく.、常に坊主の無謬性を袈裟の権威で信徒をはぐらかし、決してその責任を採ろうとはしない。その場を繕って正信の僧侶を演じているのである。いま、宗門は大聖人の御目を恐ろしとも思わぬ、出家とは名ばかりの禿人ばかりの巣窟となってしまった。教に云く、「常に此の言を唱えん、我れ羅漢を得たりと」亦云く、「教の意に背く間悪道免れがたし」と。こんな体たらくでは、坊主も信徒も堕獄行きは決して免れないのである。
 

因果応報と還著於本人と

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 7月27日(水)17時47分23秒
返信・引用
  日蓮正宗で云うところの「訓諭」とは、法主上人の発する最高の指南書とされている。それは世間で云う、天皇陛下の詔勅にも値するものと謂われているものだ。

そこで、あの有名な訓諭を思い出す。かつて六十六代の日達管長は、昭和38年7月15日に発した訓諭では、「仮初めに、冗談にもせよ、創価学会を批判する者は、宗の内外を問わず須らく地獄に堕ちるぞよ」という、馬鹿げた上に、おぞましいばかりの訓諭を垂れて、時の正宗信徒と日本国民一人ひとりは愚か、全世界に向かって学会擁護の訓戒を宣言したのでした。

云く、「倩々惟みるに下種本仏の利生漸く閻浮を光被せん機運の洋塧する方今を迎へ得しは、是れ後五百歳中広宣流布の金言を体し、地湧の眷属たる自覚のもと打って一丸、克く折伏逆化に邁進する創価学会の出現に依るところと謂うべきなり。夫れ創価学会会員捨身弘法の熱誠たるや、宗門の古今に全くその類を絶せる熾烈さにして、・・・・・その行業は正しく大聖人の御嘉納遊ばされるところにして、宗門緇素の等しく満腔の敬意を表さずんばあるべからずところなり。若し些か也とも、此の清浄無比にして護借建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問わず、全て是れ広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂うべし」等と云う、おどろおどろしい訓諭であった。

それから数年にして両者の間には、形而下の金銭に纏わる内ゲバにも似た、醜い修羅と悪竜の合戦が始まったのは記憶に新しいが、此の訓諭を発した日達管長は、自らが創価学会の悪口を言い出した事が災いして、臨終思うようにならず、生きながら苦悶の獄に堕したのであろうか? これ因果応報とでも云うのだろうか? それで両者は食うか食われるかの死闘を演じた挙句、別れ話が実を結び、今では夫々が別な道を歩んでいるようです。ただ、共通して云える処は互いに国立戒壇を憎み、そして反対し、両者が邪教化の途を驀進している事だけは間違い無さそうです。

そこで不思議に思う事は、創価学会が選挙の為に国立戒壇を放棄したのは解るような気もするが、唯一の正系門家たる日蓮正宗が国立戒壇を永久放棄したと云う事は、御本仏大聖人の教えを放擲し、宗門が頸を切った信徒の池田の教えに忠勤を励んでいる事になるのだが、今の左翼の職業坊主にはそれすらも見抜けぬ体たらくとなってしまったようだ。正系門家の坊主も信徒も大聖人を忘れ、今や池田大作の弟子になってしまったのである。


 

宗史に暗い事を棚に上げて

 投稿者:大東亜の星  投稿日:2011年 7月17日(日)11時10分59秒
返信・引用 編集済
  北面の武士さんの居丈高な自慢げなる出鱈目。

北面の武士さんの云く、「上古の日興上人は身延の本堂に御戒壇様を安置し、誰にでも拝させていたそうです」とありましたが、、、、、。

そのような話はデマか、為にする話しと断ぜざるを得ません。こんな信憑性のない話を吹聴することは、正系門家としての清流、なかんずく、御開山日興上人の命を懸けた令法久住の御精神に泥を塗ることにもなるものと思われます。

北面の武士さんの云く、「貴殿の宗史に暗い事を棚に上げて即断するのはおやめなさい。
こんな事は富士門の常識です。そもそも御戒壇様を密封したのは、大石寺の地理関係が大きく影響しております。身延は言ってみれば分かりますが、険しい山の中にあり、山自体が大きな結界だったのです。
ですから、本堂に入る前に怪しい者の侵入の余地が無かった。だからこそ本堂にあった。記録では一軒四面の本堂に安置とありますから、今みたいに大きなものでは無かったのでしょうね。
次に大石寺に来ますと、大石寺は平地で、回りも囲まれておりませんので、天然の結界が無くなってしまいました。だから密封したのです。もう一つは、鎌倉幕府が滅亡して戦乱の時代が続きましたから、御戒壇様への危害が加えられる余地が有ったのでしょう。これらが動機で、御戒壇様の密封が行われたのですから、時代によっては本堂に移った事もあります。江戸時代御影堂が造られた時は、御影堂安置の本尊は御戒壇様だったそうです。今では日精上人の御本尊に変わっておりますがね・・・。

以上、歴史的な経緯を見れば貴殿のようないい加減な宗史知識では計り知れない歴史があるのですよ。」などと、知ったかぶりのデマのような話を披瀝していますが、これが間違いなのです。

貴方は御開山日興上人は、身延の地では誰それ構わず戒壇の大御本尊様に御目どおりを許していた。その理由を身延と富士との地形の異なりを挙げておられますが、それを、拙者は出鱈目なデマと指摘しているのです。その根拠を示します。

日寛上人の文低秘沈抄には「夫れ本門戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に、仏其の中に住す。即ち是れ塔の義と釈するが如し」云々。とありますように、広宣流布以前の戒壇の大御本尊のお在します処は、天台は文句第十の中で「仏其の中に住す、是れ塔の義」と云っているのです。つまり、戒壇の大御本尊様は広宣流布が成就されるまでの間は、秘仏でいらっしゃらなければならないのです。その故は、戒壇の大御本尊様にお目通りが許されるには、広宣流布の闘いに於いて、他に抜きん出た一定の功績のあった者が選ばれて、年に一度か、或いは、数年に一度内拝を許されるという厳正な規範が上古の昔から設けられていた故であります。

その事はかつて北面武士さんも富士大石寺の行儀を述べられていた件で、このように仰せでしたね。「江戸期の御内拝への正式な請願文である内拝請願文(寂日坊所蔵)の中にも「御慈悲ヲ以て事戒壇タル奥御宝蔵ニテ、戒壇之御本尊ヘノ御内拝ヲ願イ奉ル」となっていると仰っていましたよ。

出家や在家を問わず、本門戒壇の大御本尊様に内拝申し上げる時には、峻厳な自覚と緊張をともなった良き事例を述べておられましたが、是れが正系門家の七百年の伝統だった事を考えれば、「上古の日興上人は身延の本堂に御戒壇様を安置し、誰にでも拝させていたそうです」等という話はウソ八百である事が歴然としていますね。それにしても、現今の御開扉の精神とは隔世の感があることが解ります。

序でに申し上げますと、現在のよな御開扉は、職業坊主等の飯のタネにするような御登山は、根本的に間違っています。

現在のような坊主等の金儲けの為に信心の薄い、何の行貢もない大衆が無差別に動員され、戒壇の大御本尊様の御宝前に、先を争ってなだれ込むような軽佻浮薄の御開扉が常例化している姿は間違いであり、大謗法に当たるのです。いくら内拝と雖も度が過ぎるというものだ。信徒の中にも度重なる本山からの登山要請に、怨嗟の念を起している者も多数居るという。また坊主の中には、欠伸をしながら度重なる御開扉に付き合わされているというような、信じられない驕慢の態度を晒す姿が見受けられる不埒な者も散見される有様ではないか。

法華経寿量品第十六には「若見如来・常在不滅・便起憍恣・而懐厭怠・不能生於・難遭之想・恭敬之心」等とあるが、此の文を解釈するならば、若し仏さまは常におわして滅することもなければ、たちまち憍恣の心を起して、「また御開扉か厭だな~、これで五回目だ草臥れた」等と思う心に支配され、仏様に対して恭敬の心を持つ事すら忘れてしまう。これが現今の宗門の御開扉の実相なのである。正本堂を解体を契機に戒壇の大御本尊は、御宝蔵の奥深くに秘仏として御遷座申し上げるべきだったのである。

この精神を文句の第十に、「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義」と釈するが如しと天台は云っているのである。商売に目が眩んだ職業坊主の日顕、日如らは、罰当たりも極に達したというべきである。

いずれにしても、「上古の日興上人は身延の本堂に御戒壇様を安置し、誰にでも拝させていたそうです」などとする貴方の一方的な思い込みは、間違いであることを次の御文で立証して見ましょう。

富士一跡門徒存知の事に云く「日興が弟子分に於いては在家出家の中に、或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分の信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。本尊人数等又追放人等、頸切られ、死を致す人等」とある如く、御本尊の下げ渡しには大聖人、二祖日興上人共厳格を極めていたのであります。熱原の三烈士に至っては、頸を切られた後に、大聖人様から初めて御本尊を頂戴しているのであります。



 

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